谷律子さん(74)
「3、4日経ってもうんちが出なくなって。ちょっと横になるわって言って横になった途端に嘔吐して。同時にもう顔見たら顔真っ青になっとるし…」


金沢の病院で緊急手術行い、人工肛門となり、去年6月に輪島市の自宅へ戻ってきました。地震の前から、谷さんのもとを看護に訪れていた中村さんの存在が、ふるさとに戻る決め手の一つになったと話します。

谷正行さん(85)
「(中村さんは)いい人。長いこと、お世話になっとる」
「(Q中村さんがいないとだめ?)ほうやね」


律子さん(74)
「1人娘(当時41歳・くも膜下出血のため2019年に死去)を亡くしてるし、娘の仏がうちにおるし、1人やと寂しがるし。何があっても輪島に帰りたいって言って…」
谷正行さん(85)
「(Qこれからも輪島に住み続けたい)そう。やっぱ、地元は良いわい」

常に生死と隣りあう看護の現場。しかし、その受け皿は、十分とはいえない状況です。


訪問看護師・中村悦子さん
「ステーションとして施設基準が満たすのに、看護師が2・5人必須となる。病院でも訪問看護はやっているけど、病院にかかりつけの患者さんの所しか回れないという約束があるので…」

県などによりますと、訪問看護師の活動拠点となる事業所は、奥能登2市2町に11か所ありましたが、看護師の不足や高齢化、利用者の減少などを理由に運営が難しくなり、地震後は1か所減っています。中村さん自身も自宅が全壊するなど被災しながらも、発災当時から福祉避難所の運営に奔走してきました。