三条市役所 営業戦略室 廣川達也さん
「当時の日本は円高で、(三条も)製造業などの輸出が打撃を受けていた時代となっていました。当時、“検討委員会”を設置して、三条市の知名度を上げようと…」

三条の地場産業を『高速』や『新幹線』で訪れた人にPRしたい。そんな狙いだったようですが…

市民
「(三条は)“ハイテク”というとイメージがつかない」
「三条=ハイテクとなるのがちょっとそぐわないと思って。マッチングしているのは“ものづくり”というのがPRされているので…」

どうして『ハイテクのまち』に決まったのか、当時の設置検討委員を探したところ、7人中4人が亡くなっていて、唯一連絡が取れた男性も「なぜハイテクに決まったのかは覚えていない」と話しています。

市は、議会の承認を経て再来年度=2026年度にも看板を撤去する方針です。

刃物や金物など昔ながらの「ものづくり」が売りだった三条市…
「ハイテクのまち」のPRはどこまで効果があったのでしょうか?