ルーキーイヤーの駅伝でスピードを研いてマラソンに
大学在学中にマラソンに7回出場したが、トレーニングは我流でそこまで追い込んでいなかった。「1人でジョグをするのが好きで、ひたすら走っていました」。強いて言えば「週に1回、皇居を2周するくらい」が、負荷の大きいポイント練習だった。
市民ランナー出身選手の傾向として、長い距離を走るメニューは抵抗なくできる。だが、スピードを出すメニューは苦手とすることが多い。
大塚製薬の河野匡監督が次のように説明する。
「みんなでジョグをするメニューならできるのですが、スピード練習の設定タイムを言うとビックリするんです。全力で行こう、と言うと『本当に全力ですか?』と聞き返されましたね。それでも5月の合宿から走れる体つきになって、ちょっとずつ速く走ることをつかみ始めました」
河野監督が最初に小林のことを評価したのは、大学3年時の大阪国際女子マラソンの中間点を、1時間11分57秒で通過したとき。2倍すれば2時間23分台である。スピードも出せる選手なのでは、という期待はあったし、駅伝で戦力となるためには、それなりのスピードを出す必要もあった。
シーズン後半の小林は、河野監督の予想を上回る成長を見せる。昨年9月の全日本実業団陸上10000mでは32分22秒98で7位、日本人3位と日本トップレベルに近づいた。10月のプリンセス駅伝ではエース区間の3区で区間2位。11月のクイーンズ駅伝は、大会直前に転倒して「ヒザを2針半縫うケガ」(河野監督)をしたが、区間11位で3人を抜いた。
12月1日の防府マラソンは、マラソン用の練習を行わずに、その時点の力を確認することと、「大阪に向けての40km走の1本目」と位置付けて出場。2時間24分59秒と予想以上の結果を出した。河野監督が入社時に「実業団で走るからには、最終的には出したいタイム」と話していた記録を出してしまった。
12月4日から1月9日まで、米国アルバカーキで初めて、“マラソン練習”と言えるトレーニングを行った。最初は平地の感覚で速いスピードで走り始め、後半で苦しむこともあったが、徐々に高地にも順応した。昨年の大阪国際女子マラソンで2時間18分59秒の日本記録をマークした前田穂南(28、天満屋)が、同じアルバカーキで行ったメニューも実行したという。
帰国3日後に出場した全国都道府県対抗女子駅伝も、最長区間の9区(10km)に出場。区間5位で、5000m日本記録保持者の田中希実(25、New Balance)を抑える走りを見せた。それまで大阪国際女子マラソンは第2集団に付くプランだったが、2時間20分切りを目指す第1集団に付くことを決めた。
大会4日前の取材に河野監督は、「練習の積み上げがすごいので、先頭集団から離れても粘ってゴールできると思います。第1集団に付く距離が長くなればなるほど良い結果が出る」と予想していた。展開的にはその通りになったが、日本人1位はまたもや、河野監督の予想の上を行っていた。

















