大迫スタイルと青学大の融合で、世界大会での“大迫超え”が目標に
もう1つのターニングポイントに吉田が挙げたのが、大迫傑(33、Nike)と米国で合同トレーニングを行ったこと。大迫は21年に開催された東京五輪マラソンで6位入賞。5000mの日本記録保持者で、16年リオ五輪には5000mと10000mで出場していた。
「大迫さんとゲーレン・ラップ選手(38、米国。ロンドン五輪10000m銀メダル、リオ五輪マラソン銅メダル、東京五輪マラソン8位)と何度か合宿しました。そもそも自分にとって大迫さんはすごい存在でしたが、その大迫さんはラップ選手のことを『すごい』と言っていました。あれぐらいやらないと世界と勝負できないんだと痛感させられましたね。自分が頑張って目指す先にこの人たちがいるのだと理解できたんです」。
その2人は世界トップ選手が集まっていたナイキ・オレゴン・プロジェクトに所属した期間が長く、同じ練習のスタイルだった。しかし吉田は、「同じやり方ではなく、自分のやり方を見つける方がいい」ということも徐々に感じ始めた。
22~23年はしっかり練習ができたと感じても、マラソン以外の種目も含めレースで結果が出なかった。「練習のための練習になっていたのかもしれません。マラソンのスタートラインに自信を持って立てていませんでした」。
23年10月のMGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ。パリ五輪代表3枠のうち2人が決定)で50位と大敗し、今年1月から練習拠点を青学大に移した。学生時代と同様に、原監督が立案するメニューで練習を行い始めた。2月末の大阪マラソンで2時間06分37秒(4位。日本人3位)とすぐに自己新記録が出た。
練習は学生と一緒に走ることが多いが、まったく同じではない。吉田の判断でプラスアルファで走っている。原監督によれば「(それなりに速いペースで)16km走を行った次の日に必ず30km、35km、場合によっては40km走ったりします。朝練習で20km走って、午後はフリーにしてもまた20km走ったりする選手なんです」という。
吉田は22〜23年に結果が出なかった時期も、気持ちは折れかけたが耐えることができた。その理由に「走ることが好きだから」ということを挙げている。原監督も「走ることが好きな子なので」と“強さ”の要因だと感じている。
吉田にとって「“自分のやり方”が青学大でした」と言う。もちろん、大迫との練習で学んだこと、競技やトレーニングに対する姿勢を生かしている。「大迫さんと練習して、ハードなトレーニングに向けて、どう自分に向き合っていくか、という姿勢は学生と練習する今でも生かされています。その両立が自分にとっては一番重要です」。
福岡の記録で吉田は、大迫の自己記録の2時間05分29秒(20年東京マラソン。当時の日本記録)を上回った。だが「勝つことにこだわったレースで大迫さんの記録を超えられたことは嬉しい」としながらも「まだ勝った感じはしません」と吉田は言う。「世界大会の日本代表に選ばれたとき、その大会で大迫さんの順位(東京五輪の6位)を超えることが、一番の目標になります」。青学大の練習のノウハウと大迫のスタイルを融合させた吉田の挑戦が、日本マラソン界の大きな力となる。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)