大学3年まで箱根駅伝に出場できなかった悔しさで自己改革
吉田といえば青学大3年時まで箱根駅伝に出場することができなかった。普通に就職活動を行い大手企業から内定が出ていたが、箱根駅伝と別大マラソンの結果で競技続行を決意した。卒業1カ月前の決断だったが青学大の原晋監督とともに内定企業に謝罪に行き、逆に激励を受けたエピソードが知られている。
高校(埼玉県・東農大三高)時代もインターハイ全国大会に出場できなかった。トップ選手の中では遅咲きの部類に入る。その吉田が自身のターニングポイントに「大学2、3年時に11番目で(10区間の)箱根駅伝を走れなかったこと」を挙げた。チーム内の競争を勝ち抜けなかったが、「自分自身の問題であって、それが変わるきっかけになったと思います」。
GMOインターネットグループに入社した1年目の取材では、朝練習後に1時間半、本練習前に1時間半、本練習後に1時間半を準備や身体の手入れに費やしていた。1日の練習時間は短くて7時間、長ければ9時間になった。
すごい練習をしてオーバーワークで調子を崩すか、練習量を減らすかの選択を迫られたときに、練習をやっても疲れない体、壊れない体を作るにはどうしたらいいか、という方向で考え始めた結果だった。
吉田も当時「時間よりも内容が問題なんです。内容を突き詰めた結果がその時間になっただけで、20分でできるなら20分で終わらせた方がいい」と話していた。実際、福岡国際マラソン後に原監督が話した時間は少し違っていた。練習時間はその時々の状況や考え方で変化するが、とことん突き詰める吉田の性格が表れていた