震災では自宅も大工道具も失う

2011年3月11日。沿岸部に暮らしていた橋浦さんはこの日、用事のため市内に外出していました。

橋浦武さん:
「保健センターで用事があった。ベニマルで買い物していたら地震があって、屋上に車を停めるようになっているから天井が落ちてくるかと思った。大体落ち着いて、お客さんは外に出て、ということでしばらくして解散しますと。うちに帰るかなと市役所に寄ったら、家には帰らないでくださいと言われて、増田中学校に避難して」

自宅は津波で流され、大切にしていた大工道具のほとんどを失いました。
さくばの設計図も流失し、いまでは閖上の住民でもその存在を知る人は少なくなってきています。

橋浦さんは、被災した自宅跡から見つかった数本のノミとカンナを使って、10分の1ほどのサイズのさくばの模型を作っています。小学校や公民館で講話をし、閖上のまちの歴史を子どもたちに伝えるためです。