震災の津波ですべて流された

人々の生活の中に溶け込んでいた「さくば」でしたが、昭和後期になると仙台方面とつながる橋が開通したことで徐々にその数は減っていき、平成に入るとレジャー用としてわずかに残るのみとなりました。

橋浦武さん:
「6号線、10号線が通ったことでずいぶん流通が変わった。車の便もね」

そのわずかに残っていた「さくば」は、震災の津波ですべて流されました。

橋浦武さん:
「本当にすべて流された。私もずいぶん探した。でも無かった。跡形もなくなった。残骸も見あたらなかった。貞山堀、漁港、名取川にもかなりあったのに、無かった」