2人に共通する強くなることへの強固な意思

伊澤は高校・大学では世代トップの選手だった。豊川高で全国高校駅伝2連勝、1年時は3区、2年時には2区で区間賞を獲得し、3年時には最長区間の1区で区間賞。インターハイ3000m優勝と合わせ、高校女子長距離の頂点に立った。順大でも1年時から関東インカレ5000mに優勝したり、4年時には全日本大学女子駅伝最長区間の5区で区間賞を取ったりするなど、学生トップ選手として活躍した。日本代表になることも期待されていたが、実業団では低迷した。かなりハードなメニューにチャレンジしたが、故障も多く対応できなかった。

前述したように伊澤自身の心の成長や、選手の状態も考慮した弘山監督のアドバイスで短期間で復活。11月9日には5000mで15分25秒90と大学3年時以来、12年ぶりの自己新をマークした。クイーンズ駅伝に向けての強化合宿終了後、中2日でピーキングなしで出場したという。

「今日を迎えるのに12年かかりました。諦めずに挑み続けてよかったなと感じています。まだまだ進化していきたいです」、などと自社ホームページに綴った。プリンセス駅伝の際には「もう1回日本代表になりたいと思って復帰しました。そのくらいの覚悟はもって、代表を目指して競技をします」と決意を口にした。

小林からはまだ、代表を狙うというコメントは出ていない。だが実業団入りは“勧誘を受けたからやってみよう”という受け身の姿勢ではなかった。ツテを頼るなどして実業団チームの練習に参加し、大塚製薬が自分に合っていると判断。自らの意思で実業団長距離の世界に飛び込んだ。

河野監督は、女子マラソンの名伯楽だった小出義雄氏(故人)のもとに押しかける形で弟子入りした有森裕子さん(92年バルセロナ五輪銀メダル、96年アトランタ五輪銅メダル)や、高橋尚子さん(00年シドニー五輪金メダル)と似た行動だと指摘する。

小林は来年1月か3月に、マラソンの世界陸上選考レースに出場する。東京世界陸上参加標準記録は2時間23分30秒。自己記録との差がまだ大きいこともあり、小林は「明確にこのタイムという目標はないのですが、1年の成長を示せるレースをしたい」と言う。

全日本実業団陸上10000mでは日本人3位となり、プリンセス駅伝エース区間では区間2位。11月10日の東日本女子駅伝でもアンカーの9区(10km)で、区間2位を39秒も引き離す区間賞で6人を抜いた。10kmの距離の“1年の成長”を見れば、マラソンの先頭集団で走る力は付いているのではないか。

サークル出身の新人選手と、2年間のブランクを経て復帰したかつてのエリート選手。異色経歴の選手が活躍できるのは、多くの選手が参加する駅伝があるからだ。多くのファンが駅伝を盛り上げることで、日本の長距離は強くなる。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
※写真は前回大会のもの