◆春雨にけぶる最後の日

面会のようす(巣鴨版画集より)

戦犯死刑囚が処刑の朝、最後に見た景色。1950年4月6日。幕田大尉はスガモプリズンの窓から塀の向こうへ目を向け、ゆったりと景色を描写している。

<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)>
今朝は全く私の最后の朝にふさわしく気持よくめざめ、ちょっと家に帰って寝ていた様な錯覚を起していました。それから窓をあけて、娑婆をみてやろうとしましたところ、柔かな、暖かな春の雨がけぶっています。今日の夜半は月が出てくれればよいと考えていましたが、春雨もなかなか風情があるもの、場所柄に似ず、何だかなまめかしい感じなどがして可笑しなものです。まあ、月もよし春雨もよいでしょう。
向うの高い煙突から煙が静かに春雨の中に流れています。合羽を着て自転車に乗った人が塀の外のこみ合ったバラックの角をまがってみえなくなりました。右手の方に何やら銀行のコンクリートの建物が見えます。ねむくなる様なうっとりとする春雨の景色をながめ終って簡単に朝食をすまし、最后の今日だけは、私の朝のお勤めの後一時間ばかりの座禅をやめてこれを書いているわけです。
堅苦しい事を書くのは全く苦手であり、難しい事も知りませんから思いついた事をありのままに書き留めてみるつもりです。順序もありません。

◆死刑執行言い渡し 直前に帰った母

スガモプリズン

幕田稔の母・トメは、この前の日、山形からはるばる巣鴨へ面会に訪れていた。半年ぶりの訪問だったという。久しぶりに見た母の額には深い皺が刻まれ、前歯が欠けていた。夜になって死刑の執行を告げられた幕田大尉は、母の様子を思い出して詠んだ歌を夜中に書き留めて、遺書に織り込んだ。

<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)>
昨日は偶然の幸運か、仏の知らせか、半年ぶりで母上に会って本当によかったと考えています。大体、覚悟という覚悟はしていませんでしたが、どうも近い中に処刑があるかも知れないとは考えていました。昨日会った時は実の所もう一度ぐらい会えるかも知れないなど考えていたわけです。まさか昨日の晩、言渡しがあるとはあの時知らなかったもので極めて朗らかな気持ちで会えて本望です。
この前、風邪を引いて寝ていると、○子さんから手紙が来たので心配していましたが、会ってみるとやや肥っ顔にやや安心しました。ただ額の皺が急に目に立ったのと、前歯が欠けていたのとが、少し年寄りになった様な印象を私に与え、家の将来を考えるとちょっとじっとしておれない焦燥を感じました。