16歳の時広島で被爆 炎が迫る中家の下敷きになった母は般若心経を…
岩佐さんは16歳の時、広島市で被爆しました。爆心地からは1.2キロの距離でした。
岩佐幹三さん「小さい雲が1つ2つある程度。セミがミンミン鳴いていてね、うるさい、暑い朝で。東の方を向いて、小さな畑、半坪ぐらいの畑を見ていた。突然後頭部をバットでガーンと殴られるようなショックを受けてたたきつけられた。バットでたたきつけられたものだと思ったから立ち上がって逃げようとしたら、上からすごい力で押さえつけられて立ち上がれない。目の前を見ようとしたら真っ暗で見えない」

家に目をやると、すでに潰れていました。
岩佐幹三さん「屋根も全部潰れて。向こうにあおむけに倒れていて目のあたりから血を出している母の姿が見えた。だけどこちらからはもう行けない。家に火が燃えていったので。別れを告げたら、母があきらめたのか自分の死を悟って般若心経を唱えだした。戦争中のことなので、いつやられるかはわからないという気持ちはあったろうけど、家の下敷きになって火が燃えてきてじりじりと体が焼けていく。その中に死んでいったと思えば、もうたまらない気持ち」
母は亡くなり、爆心地の近くにいたという12歳の妹とはとうとう会うことができませんでした。