「被爆者の記憶を残す」 晩年も精力的に活動

岩佐さんが晩年続けてきたのが「被爆者の記憶」を後世に残す活動です。

2011年にNPO法人として設立された「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の代表理事を務めていた岩佐さんですが、原爆にかかわる資料の収集や整理などにあたってきました。

資料を整理する岩佐さん(2017年)

保管していたものの中には、岩佐さんが国連の会議で関わった資料も含まれていました。

岩佐幹三さん「これは僕の字だよ。最後はみんなで直したんだよ。1982年第2回国連軍縮特別総会。その演説の原稿、第2稿」

岩佐さんが書いた原稿

この当時は88歳。それまで皮膚がんや前立腺がんなどに侵されながらも、「被爆者として生きてきた役割、使命感は捨て去ることはできない」と、自らを奮い立たせていました。

岩佐幹三さん「被爆者が考えていることを福音として、人類の福音として願いをまとめること。福音ってのは、話すときに『ただこうだ』じゃなくて、ほかの人みなさんに希望と一緒に歩こうという考え方を提示しないとだめ」