■「13人が死に、その中に弟がいたんです」


弟を殺された ジョン・ケリーさん:
「私が当時あったロズヴィル集合住宅の敷地内に入ったころ、銃撃が始まりました。午後4時10分でした。午後4時25分には全て終わっていました。13人が死に、その中に私の弟がいたわけです。18人が重傷を負いました。

一つお話ししましょう。私の弟を撃った兵士、「兵士F」はそこから撃ったんです。ここです。このアパートの前にある低い壁からです。

画面中央、L字型の低い壁が兵士Fたちがいた壁


兵士たちは乗ってきた車両を降りて、うち何人かが壁のところまで来ました。その1人が「兵士F」でした。イニシャルでしか言えないのは1972年以来、彼には匿名性が保証されているからです。

兵士Fはあの壁から100メートルほど先のバリケードに向けて発砲して、私の弟を殺したんです。私の弟を。



なぜそう言えるか。マイケルを殺した銃弾は腹から入り、背骨にめり込みました。司法解剖の際に銃弾が発見され、兵士Fの銃まで遡れたんです。それで判明したんです。

この場所にはもう一つストーリーがあります。

その日、母はマイケルを心配してデモについてきました。でも見失ったんです。



兵士Fがいた壁のところにあるアパートの上階には、母の姉妹が住んでいました。母は上がり込んで窓からマイケルを探しました。一瞬、母はマイケルを見つけ、名前を呼びました。マイケルは聞こえなくて、死亡現場となるバリケードのほうに走っていきました。

実は母がこのアパートの上階にいたときには既に兵士たち、殺人者たちがアパートの前の壁のところにいたんです。つまり母はマイケルが射殺されたとき、近くにいたんです。

母は知る由もなかったでしょう。母は、あの窓から息子を探していたまさにその時、下にいた兵士Fが放った銃弾によって息子を殺されたんです」



私はロズヴィル通りのさらに先を示しながら聞いた。

ーーバリケードはあそこに?

「すぐそこです。瓦礫で作られていました。瓦礫とか、何でも使ったんです。軍や警察を阻むのに役立つならね。当時、そこは“NoGoエリア”でしたからね。“デリー解放区”だったんです。

この通り周辺にはたくさんバリケードがありました。それまで英軍はボグサイド地区には足を踏み入れませんでした。通りの入り口までは来ましたが、通りを進んでくることはなかったんです。

でも、あの日は違いました。兵士らはボグサイド地区に入ってきて、バリケードに向かって銃撃を始めたんです」

ジョンさんは弟のいたバリケードがあった場所まで、私たちを連れて数十メートル歩いた。

「バリケードはここにあって、ロズヴィル集合住宅は向かい側にありました。マイケルが立っていたのはまさにここです。



兵士がいる方向を見ていました。兵士がいた壁が見えるでしょう。あまり距離がありませんよね。兵士らはあの壁にたどり着くと、すぐに撃ち始めました。

兵士の目線でバリケード方面を見る


バリケードにいた中では、マイケルが最初に撃たれたんです。

ジョン・ヤング(17)、ウィリー・ナッシュ(19)、マイケル・マクデード(20)の3人は一緒に死にました。まさにここです。ここ。



ケヴィン・マケルハニー(17)はバリケードから這って集合住宅のほうに逃げようとしていたところ、股間を撃たれ銃弾は胸から出ました。ヒュー・ギルモア(17)は通りを走って逃げていました。後ろから撃たれ、腕から入った銃弾は胸から出て行きました。ここで合計6人が死にました。ほんの数分おきにです」