ミサイルが飛んできたらいったいどこに避難をすればいいのか。80年前と何も変わっていない。

元旦に能登半島であのような震災があった。

避難所の状況は、関東大震災のときと何も変わっていない。

先進国で、体育館で雑魚寝をしているのは日本だけ。台湾では、地震発生後3時間以内、キッチンカー。被災した人を励ますの温かい食事だろう。

そしてコンテナトイレ。衛生が確保され、プライバシーが確保されないでどうする。

そして、テント。3時間以内にやってきます。

イタリアは48時間以内にやってきます。

なんで日本でそれができないのか。私は、避難所の体制もきちんとしていかねばならんと思っています。

この世界一の災害大国である日本において、防災庁がないというのは私はおかしいと思ってる。

国民を守る防災庁、必ず設立をいたします。

この松山、昭和20年、7月26日だったでしょうか?大空襲がありました。大勢の人が死んできました。市街地の半分は焼けました。

今、日本にシェルターは全くない。ミサイルが飛んできたらいったいどこに避難をすればいいのか。

これだって80年前と何も変わっていない。

当時の日本は、前線で兵隊さんが戦っているときに、空襲があっても市民は逃げるな、火を消せ、という法律があった。

ガソリンを詰めた爆弾をまかれて、バケツリレーで火が消えるはずがない。国民1人1人を大切にしていかなければなりません。