戦争の記憶を未来へ「NO WAR プロジェクト つなぐ、つながる」。戦争は79年前に終わりましたが、中国では今も、旧日本軍が捨てていった毒ガス兵器により苦しむ人たちがいます。
その女性の手は、震えていました。
于景芝さん
「ほら見て、震えてる。こうしないと震えが止まらないのです。苦しい。しゃべると息苦しい」
2003年。黒竜江省チチハル市で自宅の庭の手入れをしていた于景芝さん(76)の体に異変が起きました。
于景芝さん
「全身に激痛が走りました。呼吸がしにくくなりました」
庭の土にしみ込んでいたのは、旧日本軍が79年前、中国の大地に捨てていった毒ガスでした。
日中戦争のさなか、当時の日本軍は中国に毒ガス兵器を持ち込み、実戦で使いました。1945年8月、戦争に負けた日本は、中国から撤退。その際、中国各地に毒ガス兵器を捨てていったのです。
中国の大地で眠り続けた毒ガス兵器はその後、建設現場などで偶然掘り出され、今に至るまで中国の人々に健康被害をもたらしています。
王成さん(43)もまた、2003年、仕事で土の中に埋まっていたドラム缶を運んでいるときに毒ガスの被害にあいました。22歳の時のことでした。
王成さん
「(ドラム缶の)中身が何かは知りませんでした。油かと思ったんです。においがきつくて、油が腐っているのかと思いました」
気管支炎を患い、仕事ができなくなってしまった王さん。収入を失い、妻とも離婚せざるをえませんでした。
王成さん
「毒ガスのせいで、人生の一番いい時期が無茶苦茶になってしまいました。二度と起きないようにしてほしいです。私たちのような被害者がもう生まれないように」
毒ガスの被害者は2000人以上に上るといわれています。
現在もほぼ寝たきりの生活を送る于さん。
于景芝さん
「毒ガスさえなければ、私の人生はこんなことにならなかった。怒りを感じています」
せめて、病院で治療を受けたいと願っていますが、日本政府は被害者への賠償を行っていません。
于景芝さん
「せめてお金を払って。治療させてください。もう苦しすぎるのです」
終戦から79年。しかし、彼らの中でまだ戦争は終わっていないのです。
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