少年を熱狂させた戦時下の雑誌 手榴弾の構造や投げ方まで

愛国教育の問題を題材にした本を多数手がけてきた、ノンフィクション作家の山中恒さん(93)。かつては自身も軍国少年だったという。

ノンフィクション作家 山中恒さん
「第一線を航空機で飛んで行って、敵の軍艦にドカンと当たって、ひと思いに死ぬことが格好いいと思っていた」

山本恵里伽キャスター
「当時の国や大人たちは、子どもたちに何を求めていたんだと思います?」

山中さん
「わからない。陛下の御為に死ぬことを求めていたのかね」

戦意高揚を煽る空気は、教育だけでなく、娯楽にもあったという。特に影響を与えていたのが「雑誌」だ。

山中さん
「憧れだったよ。こういうふうになって飛行機で飛びたいって」

当時、子どもたちが夢中になって読んでいたのが「少年倶楽部」だ。中身は訓練に励む少年兵の写真や、勇敢に戦う兵士の物語など、軍事一色。

少年向け雑誌にもかかわらず、手榴弾の構造や、投げ方までもが詳しく掲載されている。

山中さんの自宅の書庫には、こうした雑誌や本が2万点以上も並ぶ。

山本キャスター
「これはなんですか?」

山中さん
「『飛行機ノデキルマデ』っていうやつ。子どもの軍事知識みたいなのを育てて、軍人は勇ましい、軍艦に乗りたいというような気持ちを煽ったんだろうね」

太平洋戦争が始まる年に創刊された「航空少年」には、飛行兵を目指す少年のこんな手記が掲載されている。

国民学校高等科二年生(航空少年 昭和18年9月緊急増刊号より)
「雲の中からアメリカのマーチン三機が僕の隼めがけて突込んで来ました。すかさず宙返りして敵の後尾から機関銃を打ち込みます。またたく間に火を吹いて落ちて行きます。『バンザイ。』と叫んだとたんに眼がさめました。夢だつたのです。二、三年すると僕も実際にそんなに出来るかと思うとうれしくてたまりません。早くそんなにならないと戦争がすんでしまひはしないかと心配です」

山中さん
「(戦争が終わってから)怒りはありましたよ。大人全体に対する怒り。俺たちは二重に騙された。教師に騙されて国家に騙された」