8月6日は、広島に原爆が投下された「原爆の日」。その年の暮れまでに、14万人あまりの命が奪われたといわれています。戦後79年の今年新たに、沖縄県出身の被爆者の女性の名前が、戦没者の名前を刻む平和の礎に刻まれました。

去年91歳で亡くなったこの女性は生前、RBCの取材に応じ、自身の被爆体験を語っていました。

▽松井一実 広島市長
「皆さん、自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか。また、他国より優位に立ち続けるために繰り広げられている軍備拡大競争についてどう思いますか」

“平和のあり方”が問われるなか、きょう、広島は原爆投下から79回目の夏を迎えました。

広島・平和公園(6日)

国籍や軍人・民間人などの区別なく、沖縄戦などで命を落とした戦没者の名前が刻まれている平和の礎には今年、ある被爆者の名前が新たに刻まれました。

那覇市出身で、広島で被爆した比嘉幸子さん。

去年、91歳で亡くなりました。

平和の礎に今年刻銘された県出身被爆者、比嘉幸子さん

「おばあちゃんとお母さん、2人に手を合わせようね」

比嘉さんの長女、那覇市出身で、現在は東京に住む森久美子さん。弟と共に母の名前が刻まれてから初めて、平和祈念公園(沖縄・糸満市)を訪れました。

▽比嘉幸子さんの長女 森久美子さん
「2024年(の追加刻銘)だからここ?あー、あった!」「お母さんきたよ」
「お母さん、、、」

▽比嘉幸子さんの長女 森久美子さん
「平和の場所、ここから発信ができるところに名前が刻銘されたということで、皆さんにその平和がずっと伝わっていけるといいな」

比嘉幸子さんの長女 森久美子さん

「平和を発信する場所に名前が刻まれたということは、母の念願でもあるのかなと思います」