■記者が見た戦争の“はじまり”
前線から5キロほどのウクライナ北東部ハルキウ郊外。取材に同行していたウクライナ兵が、突然大きな声をあげた。
「ドローンが近づいてきている。今すぐここを離れなくては!」
偵察用と思しきドローンの飛来。ロシア軍が飛ばした可能性が高く、ウクライナ兵が見つかれば兵器による攻撃の対象となる可能性がある。状況を把握する間もなく車に飛び乗り、来た道を猛スピードで戻った。
つい、7月後半のことだ。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まって半年。私は、侵攻当日から今に至るまで、あわせて3度現地入りした。
意図的に爆撃された小児病院、戦車にひき殺された父…
ウクライナ各地で、耳を塞ぎたくなるような凄惨な出来事が起きていた。
そして今回の取材では、ロシアの仕掛けたプロパガンダの被害にあい、「ウクライナ人の敵」となったある“おばあさん”に出会った。
彼女の平穏な人生を狂わせたきっかけは、現代の戦争を象徴するような「SNS空間」という新たな戦場だった。
■始まりは空港から響いた爆撃音
2022年2月24日。
大方の予想を裏切り、ロシアによる悪夢のような全面侵攻が始まった日。私はその日も、ごう音が鳴り響くウクライナで取材に臨んでいた。
首都・キーウ。振り返れば前日、23日午後11時過ぎに受けた一本の電話が始まりだった。
「このあと、未明にかけての時間に、動きがありそうだ。気を付けた方が良い」
数日前からキーウ入りし、取材を続けていた私たちに、様々な情報を提供してくれる人物からだった。

ロシア軍は去年11月ごろから、「軍事侵攻の意図はない」としながら、演習を名目に大規模な部隊をウクライナの国境周辺に展開。時間の経過とともにその規模も大きくなるなど緊張が高まるなか、私たちJNNの取材クルーは1月中旬から切れ目なく、取材クルーがウクライナ国内で備えていた。
2月に入ると、より切迫した情報が飛び交うようになる。アメリカ政府も、諜報で得たインテリジェンスを積極的に公開して警告し、「X日に侵攻があるのではないか」など、具体的な日時を明示したものも珍しくなかった。

ただ、その日を迎えても何ら動きはない、という状況を繰り返していただけに、この電話の内容をどこまで深刻に受け取るべきか、思い悩んだ記憶がある。
それでも、情報の具体性、そして何より、電話の主の切迫した声を鑑みて、共に取材に当たっていたカメラマンと取材の体制を整えた。
深夜にタクシーを捕まえ、「もしもの時に」と目を付けていた大手欧米メディアが集まるホテルへと移動した。午前0時を回っていたが、ロビーのラウンジでは市民がグラスを片手に談笑し、平穏な夜のように思えた。
しかし、その後の展開は早かった。