■負けたのに「勝った」大本営発表のウラに何が

事実と大きく異なる報道。
その大元となったのが国民に戦果を伝える大本営報道部でした。
当初、海軍報道部が作った原案は「空母二隻喪失、一隻大破、一隻少破」という内容。
この文案で発表する許可をとるため、担当者が各部署12か所以上を回るうちに被害はどんどん隠ぺいされていったのです。

本営報道部の田代 格中佐は、戦後こう記しています。
大本営海軍報道部 田代 格 中佐
「幾度か原案を書き直しても通過しなかった」
「軍令部と軍務局の意見が真っ向から衝突して容易にまとまらず、私は両方を走り回るのみであった」

そして、最終的な発表が・・・
「航空母艦1隻喪失、同一隻大破」
4隻沈んだはずが1隻に。
大本営報道部 平出 英夫 大佐(大本営発表の日のラジオ放送より)
「我が海軍部隊はミッドウェーを急襲し敵の航空母艦群をおびき出し、これと猛烈な格闘戦を演じホーネット型航空母艦1隻を大破し、エンタープライズ型航空母艦1隻を撃沈いたしたのであります」
“国民の士気を落としてはいけない”と被害を隠し、勝利を伝える発表となったのです。