■「知っている人が語っていくしかない」平均年齢92歳 進む高齢化

藤本さんとともに北たん村など中国を度々訪れ、大久野島の歴史を語り継ぐ活動をしている山内正之さん(77)。
「毒ガス島歴史研究所事務局長」を務める山内さんは、藤本さんら体験者の話しを聞き、大久野島を訪れる学生たちとともにフィールドワークを行うなど、毒ガス製造の記憶を継承する活動を行っています。
山内正之さん:
「大久野島の歴史は、『戦争は被害だけではなく、必ず加害の歴史がある』ということを教えてもらえる貴重な歴史。体験者が少なくなったからしょうがないで、自分が萎んでしまったら、これは大間違いじゃろう思うんですよ」
”体験者”が年々減少しているなか、山内さんは、次の世代が語り継いでいかなければならないと訴えます。
山内正之さん:
「毒ガスは簡単に作れるし、大変怖い兵器なんですね。食い止めるのは使ってはいけないという”気持ち”、”声”です。体験者には生きている限り語ってほしいと思いますが、もう私たちも語っていかなければならない。知っている人が語っていくしかない。(毒ガスの怖さに)気づいた人の小さな行動が、ブレーキにはなると思うんでね」

広島県によりますと、大久野島で毒ガス製造に関わるなどして国から健康管理手帳を交付された人は6119人。去年一年間で、108人が亡くなり、その数は862人となりました(今年8月5日時点)。体験者の声が聞けなくなった時、どのように歴史をつないでいくのか。今私たちに問われています。
■取材を終えて
私が大久野島を取材しようと思ったきっかけは、いつも穏やかで常に周りに気配りをする大伯母が、大久野島近くの「忠海共済病院」に通院していることを聞いたのがきっかけでした。
元気に生活している大伯母がなぜ、長年病院に通っているのか――
調べていくと「毒ガスを作っていた」大久野島の歴史を知りました。そして、それが平和を訴える広島の「加害の歴史」であることも知りました。
このタイミングで取材したのは、ロシアがウクライナでの化学兵器の使用を示唆しているというニュースを目にして、他人事ではないと感じるきっかけになるのではないかと感じたからです。
足が悪く、長時間歩けず立っているのも座っているのも辛いという大伯母が、大久野島に一緒に行ってくれるとは思っていませんでした。大伯母は遺跡でも、毒ガス資料館でも、真剣なまなざしでじっと「自分の過去」と向き合っているように感じました。
藤本安馬さんも痛み止めを飲みながら、2時間を超えるインタビューに応じてくれました。インタビューの中で繰り返し話していたのは、「自分は間違った教育を受け軍国少年になってしまっていたからこそ、若い人には、今学んでいることが正しいことなのか考える目を持ってほしい」という次世代へのメッセージでした。
「あなたの役目は、私の話したこの島の記憶を伝えることではないでしょうか」藤本さんに言われた言葉が、ずっと胸に残っています。
今、大久野島は「うさぎの島」として知られています。島内にはかわいいうさぎが沢山いて、青い海に緑が生い茂っています。しかし、77年前にこの島では毒ガスを作っていたということを知って、島を訪れてほしい。そう思います。
執筆者:社会部 小松玲葉(警視庁担当記者)