ネットに氾濫する、いわゆるコタツ記事は岐路に立っている-。メディアや広告の動向に詳しい筆者はこう予想する。近い将来、コタツ記事は消え去るのか、それともさらに量産されるのか、キーワードは「情報汚染」と「生成AI」だ。
大嫌いなコタツ記事にまみれる日々
私ほど、日々コタツ記事に腹を立てる人間はいないと思う。私はテレビとネットの未来をテーマに毎日記事を書いている。テレビ番組についても、データを集めて分析し論考記事を書いて公開する。丸一日を費やしたり、それでも終わらず書き終えるのが深夜になることもある。そうやって老骨に鞭打って書いた記事が誰にも読まれず不発に終わりがっかりしていると、ニュースサイトでトップに載っているのがコタツ記事だったりする。
番組の中でタレントがぽろりと言ったひとことを見出しに立て、開くと見出し以上の内容はなく、しかもタレントの意図が誤解されるように書いている。それがXなどでバズっていると、読んでいるスマホを叩きつけたくなるほど怒りを燃やす。
コタツ記事は、いまやスポーツ紙や芸能誌のデジタル版のメシの種らしい。その名の通り、コタツに入ったままでテレビで見たことをそのまま書けばできてしまう、レベルの低い記事だ。若手記者が命令され書かされているとの噂も聞く。そんな記事を書いて何の修行になるのか。編集部は若手を育てる気がもうないのだろう。
そんな私の目の前には、コタツ記事が毎日押し寄せてくる。ニュースアプリに並ぶ見出しは、私が軽蔑し憎んでいるコタツ記事だらけだ。仕事柄どうしてもテレビがらみの記事を開いてしまう私には、ニュースアプリのアルゴリズムが働いて、テレビ記事が表示される。そしてテレビ記事の半分以上がコタツ記事だ。量ったわけではないが私の主観ではそうだ。だから私は、大嫌いなコタツ記事にまみれて日々を過ごすことになる。