部活が終わったらカバンを持って ”仕事場” へー

当時は沖縄に急速に米軍基地が建設された時代。それにともない軍人のための娯楽施設も急増していた。そのため、施設で演奏するバンド奏者を求めて、吹奏楽部の部員にも声がかかったという。

▽金城吉雄さん(89)
「部活が終わったらそのままの感じ、カバン持って仕事場行くんですよ。僕はトランペットを買えるわけないでしょ。だから吹奏楽部の学校の楽器を借りて、そのまま仕事に行って」

トランペット奏者として基地内で演奏を始めた吉雄さんはその後、ドラムに欠員が出たからと、誘われるがままにドラマーに転向。高校卒業後はバンドに所属し、県内各地の米軍基地を回ったり、軍の娯楽施設の専属ドラマーになったりしながら、演奏を続けてきた。

そして89歳の今も、那覇市内のジャズライブハウスで週2回、ドラムを叩いている。1時間半ほどのステージ。どんなリクエストでも吉雄さんが楽譜を見ることはない。ドラマー人生を歩んで70年、スタンダードなジャズのリズムは、体に染み込んでいる。

吉雄さんは、本土復帰前のジャズの貴重な資料を保管していた。

▽金城吉雄さん(89)
「これ全部(耳で)コピーしたの、古いでしょ。手書きなんですよ。全部レコード聴いて、全部自分で、全部手書き」

1950年代から60年代にかけての手書きの楽譜。楽譜を書いたのは、吉雄さんが所属していたバンドのリーダー・齋藤勝さん。

アメリカで流行中の最新ジャズをいち早く演奏できるようにしようと、兵士に頼んでレコードを入手し、曲を聴いて楽譜に書き起こした。

▽金城吉雄さん(89)
「200曲近くですよ。すごいと思いますよ、ギターを弾きながら、ちょんちょんを聞きながら、ギターで音採って、書いて。また聞いて音採って、それを全部パートごとに書きますから。ドラムを書くし、ベースを書くし、ピアノも書くし」

吉雄さんは、この楽譜をもとに必死に曲を覚えた。