富山大学で旧統一教会の信者となった女性の告白・後編です。「アンケートで貯金額を調べた上で、献金させる目標金額をリストにして張っていた」貴重な証言、追跡第8弾です。
【第1弾】「お金お金お金、献金献金で家庭ぐちゃぐちゃ」
【第2弾】210万円献金で“家庭円満の印鑑”…でも離婚
【第3弾】政治家の“お墨付き”で「さらに献金しなくちゃ…」
【第4弾】「61億K必要」“K”=献金集めを指示する内部文書
【第5弾】「“自爆テロ”でもやりたい…」家族が信者に…
【第6弾】「お父さんごめん、貯金こんだけやわ…」涙で告白
【第7弾】「献金させてしまい後悔してます」私が勧誘員に変わるまで
【第9弾】 「自分の土地を売ってでも」献金迫る旧統一教会映像を分析
女性:
「あらかじめアンケートで貯金がいくらあるってわかったうえで、ゆくゆくは、これだけ(献金)させようとそういうリストがスタッフ室に入るとあるんですよね」
献金をさせるための旧統一教会の舞台裏を証言する元信者の女性。
信者になったのは1980年代、富山大学の学生のときでした。大学の原理研究会に入ったのです。

女性:
「楽しいはずの大学生活全部つぎ込んでしまったので、なんかすごく、取り返したいけど取り返せない」
そして大学を卒業後、女性は「献身者」となり、全国を転々とすることに。
女性:
「静岡大学の原研のマザーをしていた」
大学を卒業後、「献身者」となった女性は24歳のとき、静岡大学で学生信者をとりまとめる「マザー」となったのです。
その後は横浜で新しい信者を探す「開拓伝道」をしたあと、過酷な経験をしたといいます。
女性:
「どうかどうか天のお父様…この地上天国が完成しますように」
女性が毎朝行っていたというお祈り。

女性:
「睡眠時間は12時より早く寝たことはないし、朝は5時に起きてみんなで祈りましょうと」
教団の活動資金を集める「珍味売り」の部隊に配属されたのです。ワゴン車で昆布やいかなどの珍味を販売して回ったといいます。

女性:
「レンタカーを改造して、なかに板を敷いて下に販売するものを入れて、上で5、6人互い違いになって寝袋で寝て。板の間なので痛いんですけど」
車内で互い違いになって寝ながら1回に1か月くらい珍味を売り歩いたといいます。
