各地の事例からみる住民との接点

本章では、鶴見川、淀川、木曽川水系、大和川、田んぼダムなどの農地・農業水利、江東5区の広域避難という六つの事例を取り上げる。各事例について、(1)どのような制度や取組があるか、(2)一般の住民がどこで関わるか、(3)より実効性を高めるには何が必要か、という同じ視点で整理する。都市部の雨水対策から広域避難まで性格の異なる事例を比べることで、川から離れた住民の役割がどの場面に現れるかを明らかにする。

1|鶴見川――住宅地も治水の一部となる

鶴見川流域は都市化が進み、住宅地や道路から多くの雨水が短時間に流れ出やすい。このため、川を整備するだけでなく、流域内で雨水をためたり地中へしみ込ませたりする取組が重要となる。鶴見川水系流域治水プロジェクトは、対策を地図と工程表にまとめ、誰がどのような取組を進めるかを示している。

鶴見川流域水協議会は、流域治水の全体像を関係者で共有し、計画を作成・公表するとともに、実施状況を確認している。工程表や対策事例、流域治水プロジェクト2.0も公開されている10。住民や事業者の取組を単なる啓発で終わらせず、計画と進捗管理の中に位置づけている点が特徴である。

この事例から分かるのは、都市部では住宅や事業所の敷地も、小さな治水施設として機能し得ることである。ただし、雨水タンクや浸透施設は、設置しただけで十分とは限らない。どれだけ水をためられるか、適切に維持されているか、大雨の前に空き容量があるかによって効果は変わる。取組の成果を示すには、協議会の開催回数だけでなく、雨水をどれだけ抑えたか、施設が使える状態にあるか、内水被害がどう変化したかを確認する必要がある。

2|淀川――広い流域を協議会でつなぐ

淀川流域治水協議会では、会議資料や議事概要、参加者名簿が公開され、参加機関の拡大、規約の見直し、地域ごとの分会での事例共有、流域治水プロジェクト2.0の作成などが進められている。淀川のような大きな水系では、多くの自治体、国の機関、インフラ事業者が関わるため、一つの地域だけで対策を完結できない。協議会や分会は、各主体の情報と取組を持ち寄り、継続的に見直す場となっている。

非沿川住民との接点が特に分かりやすいのは、災害時の移動である。住民が堤防工事に直接関わる機会は限られるが、企業や学校がテレワーク、時差出勤、休校を判断し、住民が移動や買い物を控えることは、道路、鉄道、物流、避難所の混雑に影響する。計画運休後の駅への集中を抑えるには、交通事業者だけでなく、利用者側の行動も必要である。

協議会の参加者が増え、事例共有が進むことは重要である。しかし、それだけで被害が減ったとはいえない。協議会の活動と併せて、浸水リスクが下がったか、避難や運転再開時の混雑が減ったか、病院や水道など重要な施設の機能が保たれたかを確認することで、広域的な協議の効果を具体的に示せる。

3|木曽川――共通のリスク情報を持つ

木曽川水系流域治水協議会は、激しく頻繁になる水害に備え、流域全体で対策を計画的に進めるための協議と情報共有の場である。木曽川、長良川、揖斐川について、流域治水プロジェクト2.0や、雨の規模に応じた浸水想定図・リスクマップが公開されている。

木曽川水系のように流域が広い場合、上流・中流・下流、都市・農村、産業地域では、抱える事情や優先したい対策が異なる。関係者が同じ水害リスクを共有できなければ、雨水をためる場所、土地利用、避難、重要施設の防護を調整することは難しい。この意味で、ハザードマップやリスクマップは、住民向けの広報資料であるだけでなく、流域内の判断をそろえるための共通資料でもある。

ただし、情報を公開するだけでは対策は進まない。示されたリスクをもとに、誰が、いつ、どの対策を行い、費用をどう負担するかを決める必要がある。広い流域では、合意形成の進め方、対策の優先順位、費用負担、進捗確認まで一体的に整理することで、情報共有を実際の取組につなげやすくなる。

4|大和川――学校や公園に水をためる

大和川では、川の整備に加え、流域内に水をためる力を残すこと、土地利用を適正化すること、開発時に調整池を設けること、ため池、学校、公園、駐車場などに雨水を一時的にためることが進められてきた。河川対策と流域内の対策を組み合わせる考え方は、近年になって突然始まったものではなく、都市化が進む流域で長く必要とされてきた。

非沿川住民との接点は、普段使っている場所が、大雨時には水をためる場所にもなることである。学校の校庭、公園、駐車場、ため池、住宅の敷地は、平時には教育、憩い、移動、農業、居住のために使われる。一方、豪雨時には雨水を一時的にため、下流へ水が一度に流れるのを遅らせることができる。専用の治水施設だけでなく、日常の空間に治水機能を持たせる考え方である。

実施に当たっては、普段の利用との両立が課題となる。学校や公園に水をためる場合は、安全や衛生をどう確保し、いつから通常利用を再開するか、誰が管理するかを決めておく必要がある。民間の駐車場や住宅の敷地では、所有者の費用や維持管理、資産への影響にも配慮が必要である。貯留できる水の量だけでなく、平時の使いやすさ、管理の役割、費用負担への納得も含めて評価することが重要となる。

5|田んぼダム――上流の負担と下流の便益

農林水産省によると、一級水系で策定された119の流域治水プロジェクトのうち、110で農地や農業水利施設を活用する取組が位置づけられている。田んぼダムは、水田の排水口に水の流出を抑える器具を取り付け、大雨のときに雨水を一時的にためて、下流へ流れる水のピークを抑える取組である。農業用ダムの事前放流なども進められている。

この事例で重要なのは、負担する地域と利益を受ける地域が異なることである。農地側では、排水口の操作、あぜや排水路の維持、農作業への影響などの負担が生じる。一方、下流の都市では、浸水リスクが下がるという利益を受ける。都市部の住民には遠い農村の取組に見えても、実際には下流の安全を支える流域内の役割分担である。

田んぼダムの効果は、雨の量や降り続く時間、水田にどれだけ水をためられるか、排水の操作、地形、下流の河川や下水道の能力によって変わる。また、人口減少や高齢化が進む農村では、水路などを維持する負担も増している。継続的に実施するには、下流の受益者も含めた費用負担、維持管理への支援、効果の検証、農作業との調整が欠かせない。

6|江東5区――自治体の境界を越えて避難する

東京東部の低地に位置する江東5区では、大規模水害時に約250万人が浸水想定区域内にいるとされ、大規模水害ハザードマップと広域避難計画が公表されている。計画には、なぜ広域避難が必要か、誰が対象か、どのように避難するか、どの段階で避難情報を出すかが示されている。自分が住む区の中だけでは避難が完結しないことを前提とした計画である。

この事例では、非沿川住民に二つの役割がある。第一に、浸水想定区域に住む人は、川のすぐ近くでなくても、早い段階で区域外への避難を判断する必要がある。第二に、浸水区域の外にある自治体、住民、事業者、学校、宿泊施設、交通機関は、避難者を受け入れる側として水害対応に関わる。水害時には、被災する側と支援する側が行政の境界だけで決まるわけではない。

広域避難を実際に機能させるには、計画を作るだけでなく、何人が避難できるか、道路や鉄道にどれだけ余裕があるか、避難先を確保できるか、要配慮者やペットをどう移動させるか、費用や情報伝達をどうするかを具体化する必要がある。訓練への参加率、移動手段ごとの所要時間、受入可能人数、避難開始時刻による混雑の違いなどを継続的に確認することが有効である。