・水害はインフラを通じ波及。浸水域外の住民も流域治水の当事者である。
・鶴見川等の国内事例から、雨水対策や広域避難など住民の関わりを整理。
・距離ではなく、生活機能のつながりから住民の役割を捉えることが重要である。

はじめに

流域治水とは、川や堤防の整備だけに頼るのではなく、流域に暮らす住民、企業、自治体などが、それぞれの立場で水害を減らしていく取組みである。国土交通省は、河川整備に加え、雨水を一時的にためたり地中へ浸透させたりする施設、土地利用の規制・誘導、ダムの事前放流などを組み合わせ、流域のあらゆる関係者が協力して水害対策を進める考え方としている。このため、流域治水が対象とするのは川の周辺だけではない。雨が降り、その水が流れ、たまり、暮らしや社会の機能に影響を及ぼす地域全体が対象となる。したがって、川から離れて暮らす住民(以下「非沿川住民」)も、流域治水と無関係ではない。

これまで住民向けの水害情報は、浸水が想定される区域や深さ、避難場所など、「自宅の周辺がどの程度危険か」を中心に示されてきた。こうした情報は重要である。しかし、川から離れているため自分には関係がないと受け止められると、流域全体で水害に備えることは難しくなる。水害による被害は、住宅の浸水だけではない。浄水場や道路、鉄道、病院、物流拠点などが被災すれば、浸水していない地域でも、断水、移動の困難、商品の不足、医療・福祉サービスの低下が起こり得る。

本稿では、非沿川住民も流域治水の当事者である理由を、(1)日常生活を支える機能、(2)対策を実際に進める過程、(3)災害時の広域的な対応、という三つの側面から整理する。また、六つの事例を同じ視点で比較し、住民がどのように関わることができるのか、その関わりを実際の被害軽減につなげるには何が必要かを考える。比較に当たっては、公開されている制度や資料を確認し、各事例について「どのような取組があるか」「住民とどこで接点を持つか」「暮らしの維持にどう結びつくか」という共通の問いを用いる。

川から離れた住民が関わる四つの経路

非沿川住民と流域治水の関係は、「危険を知って避難する」ことだけでは捉えきれない。住民が関わる経路は、大きく四つに分けられる。第一は、自宅や地域に降った雨との関わりである。住宅地や駐車場、道路などがアスファルトやコンクリートで覆われると、雨水が地中にしみ込みにくくなり、短時間に多くの水が下水道や中小河川へ流れ込む。個々の敷地から流れ出る水は少なくても、流域全体で重なれば水害リスクを高める要因となる。

第二は、まちづくりとの関わりである。雨水をためる施設や調整池を整備すること、浸水しやすい場所での開発や土地利用を見直すことは、住民の住む場所、資産、地域の将来像に直接関わる。国土交通省も、特定都市河川制度を通じて、河川整備だけでなく、まちづくり、雨水の貯留・浸透、開発の許可、土地利用規制などを組み合わせる方向を示している。

第三は、生活を支えるインフラとの関わりである。暮らしは、水道、下水道、電力、道路、鉄道、医療、介護、物流などに支えられている。これらが流域内のどこかで止まれば、自宅が浸水していなくても生活に支障が生じる。インフラに関する研究でも、直接浸水していない人や地域に、サービスの低下を通じた間接的な被害が及ぶことが指摘されている。

第四は、災害時の一人ひとりの行動との関わりである。避難を始める時刻、出勤や買い物を控えるか、通院をどうするか、自宅にとどまれるかといった判断は、道路や鉄道、避難所、医療、物流の混雑を左右する。国土交通省は、台風第19号後の計画運休に関する整理で、運転再開時の駅への集中を避けるため、テレワークや時差出勤など、利用者側が移動需要を抑えることも必要だと指摘している。住民の行動も、災害時に社会機能を保つための重要な要素なのである。

以上のように、非沿川住民は避難情報を受け取るだけの存在ではない。自宅から流れ出る雨水、地域のまちづくり、生活インフラ、災害時の行動という四つの場面を通じて、流域治水に関わっている。次章では、このうち生活インフラに注目し、水害の影響が浸水区域の外へどのように広がるかをみていく。

水害が生活機能を通じて広がる仕組み

1|断水が暮らしに及ぼす影響

水道水は、川などから水を取り、浄水場できれいにし、ポンプや水道管を通して各家庭へ届けられる。この一連の仕組みのどこかが被災すれば、自宅周辺が浸水していなくても断水が起こる。令和元年台風第19号では、厚生労働省の資料によると、2019年10月16日午前5時の時点で11万6,440戸以上が断水していた。

断水で困るのは、飲み水だけではない。トイレ、手洗い、入浴、調理、乳幼児のミルク、介護、在宅療養など、日常生活の多くが成り立たなくなる。川から離れている住民も、「家が浸水しないから安全」と考えるのではなく、自宅へ水を届ける仕組みの弱点を知っておく必要がある。飲料水の備蓄、給水拠点までの距離、マンションの受水槽やポンプの電源、階段を使って水を運べるか、家族に多くの水を必要とする人がいるかなどを確認することが重要である。

2|道路・鉄道の停止が移動に及ぼす影響

一部の道路が冠水したり、橋が通行止めになったり、鉄道が運休したりすると、広い範囲で移動が難しくなる。非沿川住民であっても、通勤、通学、通院、買い物、家族の送迎、介護先への移動ができなければ、生活の継続は難しい。さらに、運転再開直後に多くの人が一斉に移動すると、駅、道路、バス停が混雑し、復旧後も移動に時間がかかる。

交通の混乱は、鉄道会社や道路管理者だけで解決できる問題ではない。計画運休の情報を早く伝えること、適切な時期に運転を再開することに加え、再開直後に利用者が集中しないことも必要である。テレワーク、時差出勤、不要不急の移動を控えることは、本人の安全を守るだけでなく、限られた交通手段を必要な人が使えるようにする行動でもある。

3|物流の停滞と生活物資の不足

商品は、倉庫、幹線道路、港湾、配送拠点、店舗などを経て家庭に届く。このどこかが被災すれば、浸水していない地域でも品切れや配送の遅れが起こり得る。内閣府は、企業活動を継続するための備えや、原材料・商品を届ける一連の仕組みであるサプライチェーン、地域内の連携を、防災力を高めるうえで重要な課題としている。物資の供給を保つことは、企業や行政だけでなく、地域全体で考える必要がある。

食料、衛生用品、燃料、医薬品、乳幼児用品、介護用品が手に入りにくくなると、自宅にとどまるか、親族宅や避難所へ移るか、支援を求めるかの判断も難しくなる。また、多くの人が同時に買いだめをすれば、必要性の高い世帯へ物資が届きにくくなる。家庭で日頃から備蓄することは、自分のための備えであると同時に、災害時に店舗や物流へ集中する需要を減らすことにもつながる。]

4|医療・福祉サービスへの影響

医療や福祉は、病院や施設の建物だけで成り立つものではない。職員が出勤できること、患者を搬送できること、医薬品、酸素、食材が届くこと、電気や水が使えること、関係者が情報を共有できることが必要である。自宅が安全でも、通院先、訪問看護事業所、介護施設、薬局、そこへ向かう道路のいずれかが使えなくなれば、必要なサービスを受けにくくなる。

この影響は、在宅医療を受けている人、人工呼吸器を使う人、透析患者、要介護高齢者、妊産婦、乳幼児がいる世帯で特に大きい。水害対策を「浸水する住宅から避難すること」だけで考えると、こうした問題を見落としてしまう。非沿川住民を含めた流域治水では、医療・福祉サービスを受けられる範囲と水害リスクを重ねて確認する必要がある。

このように、水害の影響は住宅の浸水だけで判断できない。水道、交通、物流、医療・福祉などが止まることで、浸水区域の外にも被害が広がる。非沿川住民の関わりを考える際には、避難だけでなく、平時の敷地の使い方、まちづくりへの合意、災害時に移動や買い物を控えることまで含めて考える必要がある。

住民が実際に行動するための条件

住民に関わってもらうことを、単に「防災意識を高めること」と考えるだけでは、具体的な行動にはつながりにくい。水害への備えに関する先行研究では、危険を知ることに加え、(1)その対策に効果があると思えること、(2)自分にも実行できると思えること、(3)費用や手間を受け入れられることが、行動に強く関係するとされている。したがって必要なのは、漠然と危険性を伝えることではなく、「自宅で何ができるか」「移動や買い物をどう変えるか」「どの備蓄が必要か」といった具体的な選択肢を示すことである。

住民の関わり方は、三つの場面に分けて考えると分かりやすい。第一は、平時に雨水の流れを変える取組である。雨水タンク、浸透ます、水がしみ込む舗装、緑地の保全、駐車場の排水の工夫などにより、雨水が一度に下水道や河川へ流れ込むのを抑えられる。国土交通省によると、雨水タンクや浸透施設への助成制度を設ける自治体は約300ある。

第二は、まちづくりへの関わりである。浸水しやすい場所での土地利用、移転の促進、開発時の雨水対策、調整池の維持、学校や公園を一時的な貯留場所として使うことは、地域の将来像と深く関わる。住民が対策を一方的に押しつけられた負担と感じれば、実施は進みにくい。将来の浸水リスクだけでなく、資産価値、移動のしやすさ、公共施設の配置なども一緒に検討することで、地域をより安全に更新する選択肢として受け止めやすくなる。

第三は、災害が近づいたときや発生したときの協力である。早めの避難、自治体の区域を越えた避難、自宅にとどまれるかの判断、移動や買い物を控えること、時差出勤、近隣の要配慮者への声かけは、本人や家族を守るだけではない。道路、鉄道、避難所、店舗、医療機関への集中を抑え、社会全体の混乱を小さくする。施設整備だけでなく、多くの住民が適切な時期に行動できるかどうかも、流域治水の効果を左右する。

このように整理すれば、住民参加は抽象的な呼びかけではなく、(1)平時の雨水対策、(2)まちづくりへの合意、(3)災害時の行動という具体的な役割として示せる。次章では、六つの事例を通じて、こうした役割が実際の制度や取組の中でどのように現れているかを確認する。