家計のフローとストックをあわせて読む「貯蓄から投資」の現在地と今後
1)「貯蓄から投資」の現在地
ここまでみてきたように、勤労者世帯の資産形成では、フローとストックで異なる姿が確認できた。家計調査報告(家計収支編)でフローをみると、新たに積み増す金融資産の主な行き先はなお預貯金である。一方、同(貯蓄・負債編)でストックをみると、預貯金が最大の金融資産となるなかで、生命保険等に代わって有価証券が第2の柱になりつつある。
ただし、預貯金、とりわけ通貨性預貯金は、前述のとおり、給与受取、カード決済、住宅ローン返済、電子マネーチャージなどに使われる家計資金の通り道でもある。キャッシュレス決済の普及により、預金口座は各種決済のハブとしての性格も強めている。そのため、収支編でみた預貯金純増が大きいことは、家計が預貯金を重視していることを示す一方で、その全額が貯蓄・負債編の預貯金残高として積み上がっているわけではない点には留意が必要だ。
一方、有価証券については、フローとストックで逆の見え方が生じる。収支編の有価証券純購入は小さいものの、貯蓄・負債編の有価証券残高は大きく増えている。有価証券残高の増加には、当年の新規購入だけでなく、過去から保有する株式や投資信託などの価格変動も含まれる。河谷善夫(2026)「『貯蓄から投資』の現在地~家計フローと株価からみた実像と課題~」が指摘するように、有価証券残高の増加には、新たな資金の流入よりも、株価など資産価格の上昇による評価益の寄与が大きいと考えられる。このため、有価証券残高の増加をもって、家計資金が預貯金から有価証券へ大きく移ったとみるのは慎重であるべきだ。勤労者世帯では、預貯金を厚く残したうえで、その上に有価証券を徐々に組み入れる動きが進んでいると捉える方が実態に近い。
2)「金利ある世界」における次の変化
もっとも、2025年までの姿がそのまま続くとは限らない。2026年6月に日本銀行は、政策金利を、それまでの0.75%程度から1.0%程度へ引き上げた。1.0%という水準は1995年以来、31年ぶりの高さであり、家計を取り巻く金利環境は大きな転換点を迎えつつある。加えて、長く続いたデフレ的な環境から、物価上昇を意識せざるを得ない局面へ移るなかで、家計にとっては生活防衛資金を確保しながら物価高にどう備えるかも重要になっている。今後、預金金利や保険商品の予定利率、住宅ローン金利などへの波及が進めば、家計の金融資産選択を見直す転機となる可能性がある。具体的には以下のような3つの資金シフトが想定される。
① 通貨性預貯金から定期性預貯金へのシフト
第一に、預貯金の内訳に変化が生じる可能性がある。預金金利が上昇すれば、生活防衛資金や決済資金を通貨性預貯金に残しつつ、当面使う予定のない資金を定期性預貯金へ振り向ける動きが出てくる可能性がある。これは「預貯金離れ」ではなく、預貯金の中で流動性と利回りを使い分ける動きといえる。
② 生命保険等の減少ペース鈍化
第二に、生命保険等の減少ペースが鈍化する可能性もある。長期の低金利環境では、貯蓄性を持つ保険商品の魅力は相対的に低下してきた。また、近年は医療保険や就業不能保障など、貯蓄性よりも保障性を重視した商品ニーズも広がっている。しかしながら、金利上昇に伴い予定利率の引き上げなどが進めば、保障と貯蓄性を兼ねる商品の位置づけが見直される余地があろう。生命保険等を単純に縮小が続く資産項目とみるのではなく、貯蓄性商品の一部には下げ止まりや選別的な回復が生じ得る点にも留意が必要だ。
③ 有価証券への資金流入の本格化
第三に、有価証券への資金流入は、規模は小さいものの、変化の兆しとして捉えることができる。家計調査のフローでみる有価証券純購入は、預貯金純増に比べて小さいが、新NISAの普及や株価上昇を背景に投資を始める家計は増えているとみられる。実際、2025年6月時点のNISA口座開設率は全国平均で24.7%(筆者試算)、NISAにおける買付額は約10.5兆円に達しており、資産形成の選択肢としての裾野は広がっている。今後、長期・積立・分散の投資行動が家計に定着していけば、有価証券への資金流入は徐々に高まる可能性がある。もっとも、その変化は預貯金を大きく取り崩して投資へ移すというより、預貯金を厚く残したうえで、余裕資金の一部を有価証券へ振り向ける動きとして進む可能性が高い。
以上を踏まえると、「貯蓄から投資」は、預貯金を投資へ置き換える動きとしてではなく、家計が手元資金を目的に応じて使い分ける動きとして捉える必要がある。生活防衛資金や決済資金として一定の流動性を確保することは重要である。一方で、物価上昇が続く局面では、必要以上の資金を通貨制預貯金に滞留させることは、購買力の低下という面で課題を伴う。今後は、手元資金を、日々の決済や不測の支出に備える流動性資金、近い将来の支出に備える目的資金、中長期の資産形成資金に分けて考えることが重要になる。そのうえで、定期性預貯金、保障や将来資金の準備に活用できる保険、有価証券などを目的に応じて使い分けることが、金利ある世界における家計資産形成の課題となろう。求められるのは単なる「預貯金離れ」ではなく、必要な流動性を確保しつつ、通貨制預貯金に過度に滞留する資金をより有効に活用し、家計が多様な資産形成を選択できる環境を整えることである。
(※情報提供、記事執筆:第一ライフ資産運用経済研究所 政策調査部 フェロー 谷口 智明)