金融システム不安を招いたトラスショック
拡張的な財政政策は、経済にどのような影響を及ぼすのだろうか。象徴的な事例は、22年に英国で発生した「トラスショック」だろう。これは当時のリズ・トラス政権下で発生した英国債価格下落とポンド急落、株価下落のトリプル安を指す。
引き金となったのは、トラス首相(当時)が同年9月に発表した大規模な減税策を柱とする財政刺激策だ。この財政刺激策が財政の持続可能性への懸念を強め、広範な英国売りにつながり、特に英10年国債利回りの上昇は急激だった。スパイラル的に金利が上昇するメカニズムはおおむね次のとおりである。
財政赤字の拡大は、国債需給や信用リスクの観点からリスク・プレミアムを拡大させる。加えて、需要超過(供給不足)の経済下では、インフレ加速と中銀の金融引き締め観測が高まり、さらに金利に上昇圧力が生まれる。そして、金利上昇による将来の利払い負担の増加が、さらなる財政悪化の懸念を生み、金利上昇に拍車をかける。国債を多く保有する金融機関が、金利上昇に耐えられずに国債売却を迫られれば、売りが売りを呼ぶかたちで金利が上昇し、金融システム不安に発展し得る。
トラスショックは、年金基金が保有資産の時価下落に耐えられず、国債の投げ売りを余儀なくされた典型的な事例でもある。海外投資家への依存度が高い新興国では、政府の信認低下が資本流出を招き、金利上昇に加えて通貨安や株安も引き起こすことがあるが、トラスショック時の英国も、信認低下が幅広い資産価格の下落につながった点で共通する。通貨安に見舞われると、輸入物価を上昇させるため、インフレも助長されやすい。
23年3月に発生した米シリコンバレー銀行の破綻も、保有する国債価格の下落により含み損が生じ、銀行の経営悪化懸念がSNSで急速に拡散されたことで取り付け騒ぎが発生した事例である。これは財政悪化懸念による金利上昇ではなく、金融引き締めに伴う金利上昇が引き金になったケースだが、金利上昇に金融機関が耐えられなかった点は共通する。
トラスショック発生の背景には、高インフレ下(22年10月のインフレ率は前年比11.1%)での拡張財政策だったこと以外の要因も大きく関係している。財政健全性・透明性に関するルールに対する政府の軽視、レバレッジを活用して年金債務の金利リスクに対応する年金基金が直面した評価損や追加証拠金請求、インフレと国債価格の急変に脆弱な市場構造といった要素が重なった結果だった。
さまざまな不安要素が影を落とす各国中銀
これらのショックには特殊事情が重なっており、他国で同様の「ショック」が起きるとは一概にはいえない。しかし、ショックが発生しなくても、財政悪化による金利上昇やインフレ加速自体が経済を弱体化させる点は認識する必要がある。
財政悪化による金利上昇は、資金調達のハードルを高めて民間投資を抑制する。信用リスクの悪化でソブリン格付けが引き下げられると、民間企業の借入れの基準となる国債利回りが上昇することに加え、追加の上乗せ金利を要求されやすくなるなど、資金調達はさらに困難となる。経済が供給不足にある状況で政府部門が労働力や資本を使い過ぎると、民間部門が利用できる資源が制約される(クラウディング・アウト)。また、インフレ加速は、実質資産残高の下落や景況感の悪化を通じて消費を減速させる。
リーマンショック以降の低インフレ期には、先進国の中銀が量的緩和を通じて国債の主要な買い手として存在感を示し、安定消化に大きく寄与していた。しかし現在、先進国中銀はバランスシートを縮小させており、需給面から金利が上昇しやすい地合いとなっている。そのため、財政悪化への懸念が経済に及ぼす副作用にはより注意が必要だろう。
加えて、米国では短期債務での調達比率が上昇しており、金利上昇が利払い負担に波及しやすくなっている点や、トランプ大統領が中銀政策への関与を強めることで独立性を脅かしている点が、財政リスクを高める要因となっている。ドルが基軸通貨であるため米国債のリスク・プレミアムの拡大は抑制されやすいが、中銀の独立性への懸念はこうした優位性を低下させる可能性がある。
ユーロ圏では金融政策が欧州中央銀行(ECB)に一元化されている。中銀が各加盟国の財政リスクに機動的に対応する余地が限られる点に留意する必要がある。