孤立で力を蓄えた米国の歴史

「モンロー主義」は、1823年に打ち出された「欧州の新たなアメリカ大陸介入を拒む」原則で、19〜20世紀前半の米国外交を方向づけ、米国には米州大陸での覇権確立という成果をもたらした。

1820年代初頭は、中南米の多くのスペイン植民地が独立していく中で、欧州の「神聖同盟」が旧植民地支配の復活を図るのではないかという危惧が米国にあった。

こうしたなか、1823年の一般教書演説でモンロー米大統領は、①欧州の戦争・内政に米国は不干渉、②既存植民地には干渉せず、③アメリカ大陸を新たな植民地化に開かれた土地とはみなさない、④欧州が独立した米州諸国を支配・干渉しようとすれば米国への敵対行為とみなす、という四原則を提示した。

当時の米国は軍事力は乏しかったものの、英国の利害(欧州他国の再植民地化阻止)と重なったことで、この宣言は事実上機能したとされている。

これにより、独立した中南米諸国への旧宗主国への介入を阻止する一方、米国は欧州諸国との軍事衝突を回避することで経済力、軍事力を高めることが可能となった。

その後、20世紀初頭にはこれらの独立国において経済・財政破綻や政治不安が高まるなど、不安定化が目立つようになった。

これに対し、米国は当該事案に対する欧州諸国の介入を阻止して地域の安定化を図る警察権を行使するとして、安定的な政府樹立の支援や軍事介入による混乱の排除などを行う。

これらは、モンロー主義を拡大解釈したもので、これらを主導したセオドア・ルーズベルト大統領に因み、ルーズベルト・コロラリー(系論・補論)と呼ばれた。

これにより、米国はカリブ海・中南米諸国における覇権を確立すると同時に、米州大陸(西半球)における資源などを利用して、さらに経済力・軍事力を高めていくことに成功した。

他地域に干渉せずに自地域の覇権を維持することで自国の力を高めていく手法は、その後の第一次世界大戦、国際連盟への不参加へと受け継がれていく。

最終的には、第二次世界大戦における米国の突出した軍事力として、その成果が発揮されることになる。