江戸に3つの屋敷を持つ最上級の旗本に…
蜷川家は最初500石、その後820石となります。長らく中流の旗本だった蜷川家ですが、江戸時代後期、一代で5000石にまで昇進する “スーパー旗本” が誕生します。
富山市郷土博物館 萩原大輔さん:「お側衆っていう、これは将軍のお側に仕える人たち。その筆頭に、蜷川相模守親文(ちかぶん)っていう表記が見えるんですね。しかも石高はなんと5000石って。旗本のサクセスストーリーを体現したような人物なんですね」
この蜷川親文(1740~1827)は、一代で出世を果たし、江戸の小川町(現在の東京都千代田区)の1700坪をはじめ江戸の一等地に3つの屋敷を持つ最上級の旗本にのぼりつめたのです。
南北朝時代以降、富山を離れて波乱万丈を経験した蜷川家ですが、萩原さんは、何百年経っても、蜷川家はゆかりの地・富山を代々忘れていなかったといいます。
富山市郷土博物館 萩原大輔さん:「400年経っても自分の家の発祥の地は富山にあるんだっていうことを常に気にかけていて、自分の履歴書のようなものをゆかりの寺にプレゼントしているいうことで、結びつきを常に持とうとしていた。考えてみたらすごいですよね、400年前のご先祖に対して、今でも尊敬の念を抱いているっていうことは現代人は耳が痛いとところはあるような気がしますね」
