被災経験を話せない理由

高橋輝良々さん:
「階段が奥に行って曲がる階段なんですけど、ちょっと上ったところで地震に遭いました」

校庭に戻り、まだ授業中だった中学年や高学年の児童、引き返してきた同級生たちと裏手の日和山に避難。一緒に逃げた児童や教職員は全員無事でした。

高橋輝良々さん:
「大津波警報の音とか津波が家や電柱を破壊していく音、それと車のクラクションの音がずっと鳴り響いていて。そういう聞いたこともない音が、(津波を)見ていなくてもすごく怖くて」

校舎は被災し、門脇小は高橋さんが5年生の時、別の学校に統合され閉校となりました。

高橋さんは今、小学校の教員を目指し、石巻から片道1時間半かけて仙台の大学に通っています。震災や防災について考える自主ゼミに所属しましたが、自らの被災体験についてはほとんど話してきませんでした。

高橋輝良々さん:
「家族が私は無事だったし家も無事で。7歳だった自分の記憶って語るには幼すぎるし、少なすぎると思って生きてきた」

思い出のある門脇小の校舎にも入る勇気が持てませんでした。