逃避行から3日目。

最初の犠牲者が出ました。

本の一部:
「団を預かる副団長は奥さんと子どもさんたちを殺したと私は翌朝聞きました。私は子どもでしたから、なぜ家族を殺さなければならないのか、意味が分かりませんでした」

さらに、翌日も。

本の一部:
「校長先生の奥さんが西洋カミソリでわが子の喉を切り、あの世へ旅立たせました。もう何が起きても驚かなくなっていました」。

他人の命を守るため、奪われる命。

11歳の少年の感情も麻痺していきます。


滝澤さん:
「本当に戦争というものはね、人間の心まで奪う。人間じゃなくしてしまうと…」

8月15日の終戦も知らず、逃避行を続ける開拓団員たち。

ようやくたどり着いた目的地で、最大の悲劇が起こりました。

滝澤さん:
「もうあそこもだめ、ここもだめ、もう周り中にソ連兵がね、入り込んでいて、もう逃げる余地がないと」
「私ら子どもにはわかりませんけどね、殺されるまでは」

8月25日。

ソ連軍の侵攻と恐怖に追い込まれ、高社郷開拓団も集団自決の道を選びました。


本の一部:
「読経のもと、父親が家族を、その父親を同胞が銃で撃ち殺す凄惨な自決が行われたのでした。あちらこちらで銃声が鳴り響き、まさに地獄絵図そのものの修羅場が展開されたのでした」
「銃を持つ団員は(中略)どんな思いで引き金をひいたというのでしょうか。ああっ―、考えただけで私は狂いそうになります」

犠牲者は514人に上ったと伝えられています。

この前日、滝澤さんの5歳の弟と3歳の妹も、命を絶たれていました。

しかし、父親は滝澤さんと7歳の妹には手をかけることなく、兄を連れて開拓団を離れる決断をしました。