本の一部:
「幼い弟妹を手にかけた父の胸の内はどんなに悲痛な思いに苛(さいな)まれたでしょうか。そしてそれ以上家族を手をかけることなどできなかったのでしょう」

遠くに離れていく父と兄。

何も知らない滝澤さんを見つけ、母親が懸命に叫びました。


滝澤さん:
「博義、早く父ちゃとあんちゃの後を追うんだ!ということでね。妹の手を引いてね。暗くなりかけた平野をね、はるか彼方にいるのを後を追ったと思います」

必死で父たちに追いつき、5人で続けた逃避行。

中国人に助けられたのち一時収容所に入れられたものの、1946年、家族5人で祖国に戻りました。

故郷に帰りついた高社郷の開拓団員はわずか21人。

幼い弟、妹のほか、義勇軍にいた2番目の兄も、会えないまま命を落としました。

今年3月に亡くなった妻が眠る、新しい滝澤家の墓。

墓石は中国から取り寄せました。

滝澤さん:
「3人のきょうだいを亡くしている中国・満州から石をね、わざわざ取り寄せて、ゆくゆくは私も入るお墓です」
「やっぱりきょうだいたちと一緒にあの世でもね、また一緒になれるかと思ってね、そういう気持ちでね」

自伝の中で滝澤さんは戦争の残酷さ、愚かさを繰り返し訴えます。


本の一部:
「戦争がいかに人々の人生を狂わせ、人間性を奪うものか。この悲劇を生ある限り語り伝えていきたいと思います」
「絶対戦争をしてはならない!そのことを強く強く皆さんに伝えます」

滝澤さんの自伝は県内の書店などで販売されています。