元国民学校生が語る、疎開してきた児童の実状
「冷たい!凍ってる」

凍った雑草を珍しそうに触る児童たち。その様子は疎開した学童が体感した、沖縄にはない「寒さ」を物語っています。
2日目に訪れたのは、戦時中、浦添国民学校から100人あまりの学童が身を寄せた、宮崎県の日向市です。
当時国民学校1年・甲斐誠二さん(86)
「4月1日に、沖縄に米軍が上陸したと新聞に載るわけです。子どもたちはその後、わんわん泣き始めました」

当時、疎開を受け入れた日向市の国民学校に通っていた、甲斐誠二さんと児玉憲幸さん。沖縄から来た学童の過酷な日々を目の当たりにしました。
当時国民学校4年・玉憲幸さん(89)
「(疎開した学童は)だいたいシャツと上着、下は半ズボン。くつももちろんありませんでしたから、草履。草履がない人は裸足」
当時国民学校1年・甲斐誠二さん(86)
「昼休みになりますと疎開生のみなさんはそーっと出ていきます。なぜか。弁当を持ってきていないんです。弁当がないんです。昼のご飯がないんです」

やーさん(ひもじい)、ひーさん(寒い)、しからーさん(さみしい)。そんな辛い毎日を過ごした人たちが、戦後、それでも、自分たちは幸運だったと話すのを、甲斐さんは耳にしたそうです。
当時国民学校1年・甲斐誠二さん(86)
「浦添国民学校は400人いた中で、116人しか疎開に来ていないわけですから、4分の1。残留組がいっぱい残ったわけですね。沖縄戦に遭われたわけですね。ですから疎開に来られた方が『日向に来ていたから命拾いした』と、命があったと」
賀数空楓さん(小5)
「自分たちは厚着しているのに、昔の人達は薄着っていうのが、そんな小さい頃から戦争を体験して辛い思いがあったんだなってことにびっくりしました」
眞榮城百恵さん(小5)
「実際に戦争を体験した人って、これからもっと少なくなっていくと思うし、こんな貴重な体験ができたから、もっともっと戦争のことを知って、いろんな人につなげていきたいと思いました」
体験したことを、それぞれの受け止め方で吸収していく児童たち。このあとは、夜の海で疎開船の追体験です。