悲惨な戦争の実相と平和の尊さを訴えてきた語り部がまた一人旅立ちました。多くの子どもたちが犠牲となった学童疎開船「対馬丸」の生存者で戦後、語り部として活動した平良啓子さんが29日に亡くなりました。88歳でした。

国頭村安波出身の平良さんは9歳だった1944年8月、多くの子ども達をのせた学童疎開船「対馬丸」に乗船しました。
「対馬丸」は米軍の攻撃をうけ沈没し、平良さんは海に投げ出され6日間漂流したあと鹿児島県の無人島に流れ着きました。
その後、沖縄に戻り地上戦を経験しています。
戦後は語り部としての活動に力を注いできましたが、関係者によりますと29日午前、大動脈解離のため名護市内の病院で亡くなったということです。