その功績を伝えるコンサートではその人柄が、コンサートの発起人でもある宮城さつきさんの朗読によって紹介されました。

朗読 宮城さつきさん
「作曲家の金井喜久子でございます。(拍手)“佐藤栄作さん”にお会いしたいんですが、ええ、総理大臣の。ええ、“オペラのチケット”を2枚お持ちしましたの」

1968年に金井が作曲したオペラは日本とアメリカのはざまで苦境する沖縄の現状を伝える作品。
時の総理大臣に観覧を求め、アポなしで乗り込んだという金井。

朗読 宮城さつきさん
「上京したころ東京の大学だったんですけど。私のときでもどこか(沖縄に)コンプレックスがあったんですね。アクセントやイントネーションも自信がなかったし、でもそういうことじゃないだっていうそういうところに私自身も感銘を受けましたし、金井さんから過去からもメッセージではあるんですけど、未来につながる強いメッセージをもらえたなと」

金井の人柄をもっと知りたいと宮城さんは東京を訪れました。

沖縄初のアナウンサー 川平朝清さん。金井は川平家の門中で、川平さんは生前の金井を知っています。

川平朝清さん
「まあ、あの、押しが強いとかなんとかっていうけど、私はそういう印象を受けなかったんですが、ただ、自分が作曲したものを完成させるために遮二無二になるところはあったでしょうね」
これまでの強気の印象とは少し違う金井の一面を語り始めた川平さん。
「人を押しのけたんじゃなくて、一途にやっている(金井)を、周りの人たちが、この人は助けよう、一緒にやろうという、そういう人柄の方だったと思いますね」

川平さんはなぜ金井を追い続けるのか宮城さんに質問しました。

宮城さつきさん
「50年前に復帰式典に込めた思いが、(沖縄復帰祝典の序曲)「飛翔(はばたき)だと思うんですね。ひなが大海に育つように、沖縄も本土に向けて祖国復帰してという思いを込めたと、50年経った今、金井さんが思っていた沖縄になっていたのかなと」

50年後、今回の復帰式典でも流された金井の音楽

宮城さつきさん
「50年経って金井さんはいらっしゃらないですけど、金井さんがのぞんだ沖縄になっているのかなとか、県民が本当に目指してきた沖縄になっているのかなっていうのを今一度考える節目の年なのかなと。金井さんが誇り高く生きたようにウチナーンチュとして誇りをもって、この先の未来を作っていけたらいいのかなと県民の一人として思いました」

金井が音楽に託した沖縄への思いは後世に引き継がれウチナーンチュの誇りとしてこれからも伝えられていきます。

【記者MEMO】
「50年前に金井さんが望んでいた沖縄に今なっているのか」と宮城さんは語っていましたが金井さんを追いかける理由はまさにそこが軸になっています。

今も沖縄に対する偏見から生まれる問題がありますがそうした中でウチナーンチュの誇りを再認識する手だてが沖縄の文化芸能なのではないかと宮城さんは話していたということです。