23日、糸満市の平和祈念公園で「戦後80年全戦没者追悼式」が執り行われ、玉城知事のほか、石破総理や中満泉国連事務次長などが参列した。

玉城知事の平和宣言



この地で繰り広げられた、住民を巻き込んだ沖縄戦の実相と教訓を、県民一丸となった不断の努力によって、世代を超えて守り伝え続けていくことは、いまを生きる私たちの使命ではないでしょうか。

沖縄の歴史を辿ると、琉球処分、沖縄戦、米国統治下といった苦難の道を歩んできており、本土復帰から53年を経た今日でも、広大な米軍基地が集中し、米軍人等による事件・事故、米軍基地から派生する環境問題、そして、辺野古新基地建設問題など、過重な基地負担が続いています。

 苦難の歴史を歩んできた沖縄は、「命どぅ宝」をなによりも重んじ、争いのない平和な世界を切に願っています。
 私は、この小さな沖縄から、不条理な現状を打破するため、そして世界の恒久平和のため、何ができるのか、真剣に考え、国際社会と協調しながら、たとえ、微力でも行動していきたいと考えています。

 この戦後80年は一つの通過点です。私は、たとえすぐに変化はなくても、この沖縄から平和を発信し続け、行動をすることが、世界平和に繋がるものと信じているのです。
 いまこそ、先人達から脈々と受け継いできた「万国津梁」の精神により、国際社会とともに恒久平和の実現に貢献する役割を果たしてまいります。

平和の詩「おばあちゃんの歌」城間一歩輝(伊良波小6年)



毎年、ぼくと弟は慰霊の日に
おばあちゃんの家に行って
仏壇に手を合わせウートートーをする

一年に一度だけ
おばあちゃんが歌う
「空しゅう警報聞こえてきたら
今はぼくたち小さいから
大人の言うことよく聞いて
あわてないで さわがないで 落ち着いて
入っていましょう防空壕」

五歳の時に習ったのに
八十年後の今でも覚えている
笑顔で歌っているから
楽しい歌だと思っていた
ぼくは五歳の時に習った歌なんて覚えていない
ビデオの中のぼくはあんなに楽しそうに踊りながら歌っているのに

一年に一度だけ
おばあちゃんが歌う
「うんじゅん わんにん 艦砲ぬ くぇーぬくさー」
泣きながら歌っているから悲しい歌だと分かっていた
歌った後に
「あの戦の時に死んでおけば良かった」
と言うからぼくも泣きたくなった
沖縄戦の激しい艦砲射撃でケガをして生き残った人のことを
「艦砲射撃の食べ残し」
と言うことを知って悲しくなった
おばあちゃんの家族は
戦争が終わっていることも知らず

防空壕に隠れていた
戦車に乗ったアメリカ兵に「デテコイ」と言われたが
戦車でひき殺されると思い出て行かなかった
手榴弾を壕の中に投げられ
おばあちゃんは左の太ももに大けがをした
うじがわいて何度も皮がはがれるから
アメリカ軍の病院で
けがをしていない右の太ももの皮をはいで
皮ふ移植をして何とか助かった
でも、大きな傷あとが残った
傷のことを誰にも言えず
先生に叱られても
傷が見える体育着に着替えることが出来ず
学生時代は苦しんでいた

五歳のおばあちゃんが防空壕での歌を歌い
「艦砲射撃の食べ残し」と言われても
生きてくれて本当に良かったと思った
おばあちゃんに
生きていてくれて本当にありがとうと伝えると
両手でぼくのほっぺをさわって
「生き延びたくとぅ ぬちぬ ちるがたん」
生き延びたから 命がつながったんだね
とおばあちゃんが言った

八十年前の戦争で
おばあちゃんは心と体に大きな傷を負った
その傷は何十年経っても消えない
人の命を奪い苦しめる戦争を二度と起こさないように
おばあちゃんから聞いた戦争の話を伝え続けていく
おばあちゃんが繋いでくれた命を大切にして
一生懸命に生きていく

石破総理あいさつ 



平和の礎に刻まれた全ての戦没者の無念と、残された方々の悲しみを、私たちは決して忘れてはなりません。
 私たちが享受している平和と繁栄は、 この地で命を落とされた方々の尊い犠牲と、 沖縄の歩んだ筆舌に尽くし難い苦難の歴史の上に築かれたものです。
 沖縄戦から八十年を迎えた今、 そのことを改めて深く胸に刻みながら、静かに頭を垂れたいと思います。

 沖縄戦では、県民の四人に一人が命を落とされました。私は、小泉内閣で防衛庁長官として国民保護法制を担当した際、「決して、民間人が戦に巻き込まれることがあってはならない」という強い思いの下、法整備に取り組みました。このとき念頭にあったのは、この悲惨な沖縄戦でありました。
 沖縄が負われた深い傷に思いを致し、 戦争の愚かさと悲惨さを改めて正面から見つめ、 平和で豊かな沖縄の実現に向けて力を尽くすことは、 国家の重要な責務であります。

 沖縄の皆様には、今もなお、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいております。 沖縄の負担軽減を、目に見える形で実現する。それが私自身の強い決意であります。

 また、今なお続く、戦没者の御遺骨の収集、不発弾の処理等についても、着実に取り組んでまいります

 我が国は、戦後一貫して、平和国家としての歩みを進めてまいりました。戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歳月がいかに流れても、この決然たる誓いを、世代を超えて継承し、貫くとともに、 平和で心豊かに暮らせる世の中の実現に向けて取り組んでまいります。 

中満泉 国連事務次長あいさつ



真の安全保障と平和は軍事力のみや、ましてや軍拡競争によって達成されるものではありません。適切な防衛力と対話・交渉・外交努力、そして国際法に基づく国際秩序の維持、信頼醸成やリスク削減、軍備管理や軍備削減など様々な軍縮のツールを組み合わせて初めて達成されるものです。国家間の信頼関係が崩れている今こそ、戦争への道ではなく、平和と共存への道を、そして核兵器のない世界への道を、冷静に探ることが必要です。そして、紛争下にあっても一般市民は必ず保護されなければならないという、国際人道法の原則を守らなければなりません。

戦後80年、歴史の教訓に基づき日本は一貫して平和国家として歩み、また世界中で平和構築や開発のための国際協力を推し進めてきました。国連は、そんな日本のリーダーシップとコミットメントに敬意を表し、皆さまと共に平和への努力をあきらめずに一層重ねていくことをお誓いいたします。