
▼末安喜代子さん「やっぱり沖縄の人は何か兄弟みたいな気持ちで、田舎から出てきたよ言うて、金はもうないんやけども飲ませてよって言うからね。いっぱい飲ませたりまた食べさせたりやって、もう、来ないなと思ったら沖縄にまた帰ってたりね。そんなのが多い」
1942年、7人兄弟の3女として本部町の伊豆味に生まれた喜代子さん。沖縄戦や、戦後の過酷な環境の中を子どもながら懸命に生き延びました。そして、沖縄が本土復帰を迎えた1972年―。すでに島を離れていた、兄妹たちを追って戸ノ内町へとやってきました。
▼末安喜代子さん「最初は恋しかったです。もう帰りたくて。みんな長屋。壁一つあって、みんなもう聞こえるぐらい。その当時はもう、本当に食べるのにも必死でしたね。何かやらんと」

当時、多くの県出身者が住んでいた戸ノ内でも沖縄に対する差別や偏見が多く、移住者は、肩身の狭い生活を余儀なくされていました。それでも、懸命に毎日を生きる同郷者の姿に感銘を受け、少しでも「沖縄」を思い出してほしいと、沖縄料理のお店を始めたといいます。
▼今帰仁村出身の男性「妹みたいなもんやな。妹みたいやけど、ママ言うてるからな。元々沖縄の人ばっかりやってんここは。そやけどもう若い子らは沖縄のこと知らん人が、なぁ集って来るようになった」
▼戸ノ内から沖縄へ移住した客「いつもここにおる時によく来たものだから。来た時には顔を見せに」
▼娘・みゆきさん「苦労しかなかったと思うんですよ、まだ差別のあった時代だったので、その中でも私を背負いながらというか母が頑張ってくれたおかげで今私がここにあるなっていう思いでおります」
移住から半世紀。街からは少しずつ沖縄の色が薄れていく中で、この場所だけは変わらず沖縄の時間が流れています。
▼末安喜代子さん「(沖縄の)おでん屋にいるお母さんと一緒。普通のうちなーぐちさ。うちなーぐちでしょ、全然なおらん。沖縄にいるよりはこっちにいる方がいいですね。こっちがふるさとなんですよ、もう。出来る間はやりたいなと思っています。あと5年くらいはやりたいなと思うけど」
沖縄から、遠く離れた尼崎で―。かつて、沖縄出身者がふるさとを思い通ったお店には、今日もにぎやかなウチナーグチと三線の音色が響いています。
