沖縄音楽の母・金井喜久子。金井の母校である東京芸術大学で去年、新資料見つかりました。金井が活動した昭和初期の音楽界をテーマにしたコンサートも開催され、新たな事実や金井が生きた時代背景が見えてきました。



▼金井喜久子プロジェクト発起人 宮城さつきさん
「楽しみ。楽しみでしかない」

▼下地麗子キャスター
「ある意味、東京での金井さんがどうだったかですよね」

▼金井喜久子プロジェクト発起人 宮城さつきさん
「そうです。沖縄からの目線で見ていたけれども、逆にどれだけ大変だったかも分かるかもしれない」

去年11月、東京芸大上野キャンパス。金井の音楽と人間力を発信するプロジェクトの発起人・宮城さつきさんの姿がありました。



東京芸大の前身、東京音楽学校で昭和初期に作曲を教えたり学んだりした音楽家を振り返るコンサート。テーマの一つとなったのが、宮古島出身の作曲家・金井喜久子です。

東京音楽学校で作曲を学び、日本人女性として初めて交響曲を作曲。クラシック音楽に沖縄の旋律を組み込み、故郷への思いを表現しました。

西洋音楽のパイオニア的な教育機関である東京芸大で、この公演が開かれた意義は…。



▼東京芸大 未来創造継承センター 毛利嘉孝センター長
「沖縄出身でかつ女性で作曲を学ばれて、しかも創造性の高い作品を作り上げてきました。金井さんを中心としながら、芸大の歴史とはなんだったんだろうと考えるすごくいい機会になったと思います。単に西洋から東洋へと来たものの流れではなくて、むしろ東の中で何が起きたのか、日本の中で何が起きたのか」

公演は、東京芸大の大学史史料室と、金井プロジェクトが共同で企画しました。

それぞれの担当者は、金井がここで学んだ昭和初期、1930年から1940年代の音楽界についてこう語ります。

▼東京芸大 大学史史料室 仲辻真帆さん
「近代日本の特に昭和初期というのは、作曲家の創作史の中でもやはり日本人が西洋音楽の理論をいかに昇華していくか、そういう課題の中でいろんな模索をしてきたわけですよね。アイデンティティーみたいなものを探り、確立していく動き。金井さんの場合は生まれ育った環境や沖縄、宮古島の要素がとても大きなものだったと思うんです」

▼洋楽受容史研究者 三島わかなさん(金井喜久子プロジェクト)
「西洋のものまねではない、日本的な精神性を携えた作品がこの時代に求められていたわけです。結果的に多元的な日本を再発見することも、もたらしているのではないかと思います」

西洋からの学びを、いかに日本的なものに昇華させていくかが求められた時代性を背景に、金井もまた自らが誇るアイデンティティー、沖縄的なものを追究していきました。

▼金井喜久子プロジェクト発起人 宮城さつきさん
「意地というか世界に誇れる沖縄音楽なんだという、ある種の使命みたいなものを持ちながら頑張ったんだろうなと、きょう改めて感じました」