1999年 沖尚が県民悲願の甲子園初優勝

ー1999年の春を振り返って思い出すことは

比嘉:ひとつ勝てばいいかなぐらいの、そういう感じで乗り込んだ甲子園で、まさか自分たちが優勝するとは夢にも思わなかったです。今でもなんで優勝できたんだろう…不思議な大会だったなと。ただ一戦一戦、戦うごとにチームが勢いに乗っていったし、力が付いていってるなと感じたので、甲子園という球場が自分たちでは出すことができない力を引き出してくれたのかなと思います。

ー沖縄の盛り上がりも凄かった

比嘉:新聞記事の切り抜きのFAXが宿舎に届いて、すごく盛り上がってるというのは宿舎にいても分かっていた。「応援されてるな」という印象を受けていました。

ー当時まだどこも成し遂げていなかった県勢優勝は意識したか

比嘉:小学生の時に、沖縄水産が2年連続で夏の甲子園準優勝、2学年上では浦添商業がベスト4になったので、「沖縄でもやればできる」とは思っていました。

ただ、同級生はどうか分からないけど、僕は「優勝」とか、「絶対甲子園に行く」みたいな、そういう強い思いを持って取り組んでいたわけじゃなかったと思います。優勝した瞬間は「明日も試合があるのかな」という感覚、不思議な感じだった。(スタンドの)ウェーブとか、沖縄に戻ってからの人の多さを見たときに「すごいことをしたんだな」と思ったのは覚えています。

(凱旋して)那覇空港、学校までの沿道でも多くの方が手を振って下さってたので、多くの方が喜んだということは、良かったなと思います。

ー沖縄にとって甲子園は特別なんだと感じた?

比嘉:僕が高校生の時に「甲子園優勝が先か、大臣(の輩出)が先か」みたいなことを言われた記憶がある。大臣のレベルと甲子園の優勝が同じ扱いを受けるということは、やっぱり沖縄にとって高校野球は特別な競技なのかなとは思います。

春夏連覇と県勢初制覇、高校野球の歴史に名を刻む2人の左腕 記念すべき対談

ー島袋さんは沖縄尚学のセンバツ初優勝の時は覚えていますか?(まだ7歳ごろ)

島袋:ちょっと覚えてない(苦笑)
比嘉:そりゃそうですよ!(笑)

島袋:映像ではもちろん見たことあるんですけど、リアルタイムで見ていたかと言われたら、たぶん見ていない(苦笑)。当時は分からなかったけど、大きくなって(初優勝時の)映像を見るにつれて、沖縄の盛り上がり方はすごくて、本当に悲願を成し遂げた瞬間だったんだというのは思いました。

甲子園はみんなが応援するので、自然と見るようにもなっていったし、そこ(甲子園)に憧れてる自分もいました。チーム沖縄というか、野球だけでなく、色々な分野で沖縄の人が県外で頑張っているのを皆で応援する風習はすごくいいなと思うし、私も甲子園は常に(県代表チームを)応援しています。

(後編へ続く)

2人の対談の様子は、RBCテレビで11月20日(水)夕方6時15分から生放送の「映像が語る沖縄70年 RBCキャスターが見たニュースの舞台裏」でご覧になれます。

RBCの映像ライブラリーから掘り起こした貴重映像や、歴代ニュースキャスターが明かす “あのニュース” の舞台裏にご期待ください。