▽竹田高校・合澤哲郎 校長(取材当時)
「いろんな噂は入るが、どこまでが真実なのか、正しいのか誤った情報なのか確認することは難しい。不満を持つ、ちゃんと教えてくれという先生方も多かったですよね」
取材班は、剣太さんが亡くなって3年後(2012年)に竹田高校の校長に着任した
藤原崇能さんにも話を聞くことができた。
▽元竹田高校校長 藤原崇能さん
「みんなが不幸だと思いました。工藤さんも悲しみの上に不信感を持ち、生徒は事件のことが不安だし知りたい。だけど語ってくれないし」
「きちんとそこは子どもに言えるってことが重要で、伝えることが、先生たちが精神的にも気持ちよく勤務できる条件のひとつだと私は考えました」

藤原さんは校長として、ある提案をした。
2012年8月22日。まだ裁判が続くなかで、学校は剣太さんの命日を「健康・安全の日」と制定した。
尊い命が失われたことを「我が事」としてとらえるため、竹田高校は今でも毎年、剣太さんの命日に集会を開き、熱中症を想定した緊急対応訓練などを行う日としてる。
▽元竹田高校校長 藤原崇能さん
「無念にも亡くなったご本人の霊を慰め続けることは学校の責任だと思いました。健康・安全の日は、ひとつの意思表明の日。生徒の健康安全を守る、最優先だという姿勢を全校に向かって表明する」
その後の校長としてこの日を迎えてきた合澤さんも、自問自答を繰り返してきたと語る。

▽竹田高校・合澤哲郎 校長(取材当時)
「(当時)剣道場にいたら、剣太くんが様子がおかしいというのは絶対気づいたと思うんです。ただその時に、自分よりも剣道の経験があって、しかも興奮している顧問を制止して、これはおかしいと、救急車呼びましょうと言えたか。常に考えるんです。でも、それをそのままにしていたら、結局同じことになってしまう」
「行動を起こさなければ命は救えない」
生徒の命を守る。その安全対策が徹底される竹田高校。
▽剣太さんの母・工藤奈美さん
「今だったら剣太は死んでいないと、すごく感じています」

「子どもたちの尊い命を守るように、今周りが動いてくれているよ。あなたは17年生きて、命を落としてしまったけど、それは決して私たちは無駄にはしたくなかったし、無駄になっていないと信じているので、お父さんとお母さんが動ける間は、剣ちゃんもう少し一緒に頑張ろうね、って」
我が子を失った悲しみが消えることはない。しかし、「同じ悲劇を繰り返さない」。その強い思いは、着実に学校現場に浸透している。
シリーズ「我が子を亡くすということ」は完結まで毎週土曜更新。続編は9月21日(土)に公開します。第1回記事からの全編はこちら)