日本人初 K2に酸素ボンベ無しで単独登頂に成功

戸髙さんは宇目町(当時)で生まれ育ち、佐伯市内の高校を卒業後、福岡県内の大学の探検部で登山に夢中に。大分県内の高校で非常勤講師を務めていましたが、「悔いのない環境に身を置きたい」と30歳頃に教員を辞めて登山中心の生活を始めました。23歳から39歳までヒマラヤ山脈に16年間登り続け、1996年8月、34歳のときに世界で2番目に高いK2に登り、日本人で初めて酸素ボンベ無しで、単独登頂を果たしました。

K2頂上の戸高さん(本人提供)

(戸髙雅史さん)「ヒマラヤの山になると8000メートルを越える世界になっていくんです。日常を越えて命の危険を感じる、生命力のスイッチが入る世界でもあるんです。それはただ生き抜くだけじゃなく、光が雲間から雪に入った瞬間に涙があふれてきたり、生きるための感度も非常に磨かれていく。そういう意味で山という領域は生きるっていうことを生身の体でダイレクトに受け止めるような場所でもある気がします」

K2登はん中の戸高さん(本人提供)

(渡辺キャスター)「そこから今の活動に切り替わったきっかけは?」
(戸髙雅史さん)「これは話し出すと難しいんですが…やはり何かを求めてヒマラヤの世界に登ってたんです。とてもシンプルな世界、でも何かが満ちているような不思議な宇宙の世界があって、逸れに魅了されて8000メートルの上の世界に16年間登り続けました。38歳のとき、チョモランマ(エベレスト)の標高7600メートルのところで一人で夜を過ごしているときに、突然インスピレーションというか感じたことがあって『生きる世界は麓だよ』という声が聞こえたような不思議な体験がありました。僕自身なぜ山に登りだしたかというと、生きるということの答えなりヒントなり、何かそういうものを求めて山に登りだした気がするんですね。そういう意味で言えば、長年のヒマラヤの体験で何か転換点を体験したのかなと思う。
水や緑の何気ない世界が響くようになってきたんです。なかなかこれぐらいしか表現できないんですけど」

K2頂上手前のポイントで(本人提供)

自然の中で人と人が生活を営む、ふもとの世界にこそ命の本質があると感じた戸高さんは、水や緑と触れ合い「自然とひとの共振の場」を作るような自然体験を提供する野外学校Feel Our Soulを立ち上げました。