娘と対面した母…遺体を見て頭に浮かんだのは「隠さなあかん」

 2019年7月に起きた、京都アニメーションへの放火殺人事件。渡邊美希子さん(当時35歳)を亡くした母、達子さんは、DNA鑑定の結果が出たという連絡を受け、美希子さんの遺体と対面しました。

▼渡邊達子さん「『遺体は見ない方がいいと思います』という話だったんですけど、見ないという選択肢が私にはなかったので、『会います』と言いました。会った時の4人の反応が、ものの見事にバラバラでした。」

「夫は『骨格、顔の骨格が美希子だ』と言いました。この人(美希子さんの兄の勇さん)は『ひどい』とだけ言いました。」

「私は、お葬式をせなあかんけど、一般のお葬式のように『見てやって』と言えるような姿ではないから、『隠さなあかん』と思ったんですよね。最初に頭に浮かんだのは『隠さなあかん』でしたね。家族でもやっぱり反応バラバラだというのを、あの時改めて思いました。」

 「家族の反応がバラバラだった」という話を聞き、これがリアルなのだ、と感じました。想像できないほどの悲しみ、むなしさ、怒りがあったはずです。でも、美希子さんと対面し、お父さんが「骨格が似ている…」としか言えなかった、達子さんが「隠さな」と思わざるをえなかった。一般的な“別れ”では決してないその場面を想像すると、言葉も出ませんでした。

“報道”とは?遺族としての思い

▼渡邊達子さん「ちょっとして、『実名報道されますか』という話がありました。夫が『美希子は何も悪いことしてへんねんから逃げ隠れする必要はないんや。』と言ったので、『いいですよ。実名報道はOKです』と言いました。」

「そうすると、結構我が家に、(記者が)来るようになったんですね。ほとんどが若い方でした。私の子供たち世代。『ずるいやろう』と思いました。年配の方がこられたら、『あなた、私と同じぐらいの年齢ならわかるでしょ』と言えるけど、若い人たちをよこすのはずるいと思いましたね。」

「家族が悲しんでいるのは当たり前の話で、記事という観点ならば、親のところに来るのではないだろうと。何でこんなことが起こったのかを調べて書くのが、報道の人たちの使命と違うのか、とも言いました。」

 まっすぐに突き刺さる言葉でした。殺人事件の被害者遺族を、私は取材したことがありません。先輩から教えられた、「悲しみを繰り返さないため」という“報道機関の役割”は理解しつつも、壮絶な状況に置かれた人にマイクやカメラを向けるなんて、本当はしたくはない。

 もし記者としてその場に立った場合、私には何が伝えられるのか、何を伝えるべきなのか、そして、どう向き合うべきなのか。凄惨な事件の話を見聞きするたびに、自分の使命と倫理観の間で本当に苦しい葛藤が生まれます。

 その後、達子さんのもとに、美希子さんの遺品が戻ってきました。