戦地から届いた125通の手紙
紀美栄さんが見せてくれた写真。父親と撮った最初で最後の1枚です。
1942年の夏、父の政治さんは28歳で戦地に赴きました。

【川上紀美栄さん(84)】
「これが私の家族です。一番端が私の父親です」
父の政治さんは最前線ではなく、炊事班などを担当していたということです。そのとき紀美栄さんはまだ2歳。母・キトさんのお腹の中には紀美栄さんの弟もいました。
「父がどんな顔をしていたのかな、声はどんな声色だったのかなって、それが分からないです」

父との思い出は一切覚えていないと話します。戦地から送られてきた手紙は、およそ2年間で125通にものぼります。
【父・政治さんからの手紙】
「紀美栄、寒くなったな。お母さんの言うことを聞いて、風邪をひかないようにしなければいけないよ」
「紀美栄が大きくなったら、馬を買ってやろう」

手紙の内容は上官に厳しく検閲されていて、軍の内情や戦争に対する気持ちを書くことが許されず、たわいもないことがほとんどです。それでも、父・政治さんの人柄がしっかりと伝わってきます。
【父・政治さんからの手紙】
「叔父様や叔母様やお母様の言うことを聞いて、裏にあるようなお姉さんになってください。紀美栄、父ちゃんは元気だ。安心してね。風邪を引かぬよう体には気をつけろよ」
ユーモアを交えつつ、紀美栄さんを気遣っている様子が分かります。
―これだけ手紙を送ってくれるのは、優しいお父さんだから?
「なんていうかマメっていうか、間があったんですかね…」