戦争を体験した三男さんはどんな生涯を送ったのか。東京に住む三男さんの娘のもとを訪ねました。
野末三紗子さん79歳。

三紗子さんが生まれた当時、父親の三男さんは戦地にいました。初めて父親に会ったのは三紗子さんが4歳のときでした。

【野末三紗子さん(79)】「私の知っている父親は写真だけ、本人がそこにいて、軍隊上がりですからすごく大きな声で『三紗子』っていうので、びっくりして泣いちゃって…」
「相当心に傷を負った人生だったんだな…それを出さない。ニコニコして楽しいお話をしていた。最終的には老後、最後になった時は苦しかったんでしょうね」
「(年老いてから)幻覚を見ることがありました。戦争に行っている幻覚を見たり、『そこに、兵隊さんがいる。』とか『そこに現地の人たち女の人たちがいる。』『みんなこっちを見ているけど何もしゃべらない。』とか、そういう幻覚を見ている。これを読んでみると当たり前だと、こんな思いをしているんだったら起こさない方がおかしい」

三男さんは娘の三紗子さんや孫に常に語っていた言葉があるそうです。
『戦争はいけない』。『平和が一番』ということでした。

三男さんが残した記録にはこんな一文も残されていました。それは三男さんと3人の兵士とのこんなやりとりでした。
「作戦が終えると例の三名が原隊復帰の挨拶にきた。その時、口を揃えて『あなたは戦さが怖くないですか』と言う。『なぜです』と聞くと『あなたは敵の前でも弾丸の中でもやることが平素とかわらない』という。私は恐縮した。『そりゃ私だって怖いことは皆さんと同じですよ』と言ったら三名は一斉に首を傾けていた。私としては命は惜しいし、死にたくない」
軍人といえども1人の人間であり、その人間同士が戦わなければいけない矛盾の中で心は常に揺れ動いていたのです。
【竹石三男さんの甥 竹石松次さん】「戦争とういう実態を見ることによって、聞くことによって初めてすごいことがあったんだと戦後77年にしてそういう事実が出ている。それは70年であっても100年であっても戦争は変わらない。平和に暮らすためにどうしたらいいか、考えるきっかけになってほしい」

戦後77年。今またロシアによるウクライナ侵攻という戦争が繰り広げられています。

1人の兵士の戦争体験の言葉の一つひとつが、「『平和』とは何か?」改めて問いかけています。
