能登半島地震から1か月。
いまだ断水が解消されず、生活の大きな「足かせ」となっている水の問題。疲れが溜まった被災者の「髪」と「心」を洗おうと奔走する美容師を取材しました。

能登半島地震から1か月 孤立集落の生活はいま

石川県輪島市の死者は103人(うち災害関連死3人)、いまも11人が安否不明になっている。

1月、私たちは市街からおよそ9キロ離れた孤立集落を取材した。自衛隊が最後に物資を届けたのは、1週間前。次の予定はないという。

住民たちの生活はどうなったのか?私たちは再び集落へ向かった。

村瀬健介キャスター:
「前回、孤立集落を取材する際にはですね、この辺りまで車で来ることができたんですけれども、ちょうどここで崖崩れが起きて、行けなくなっていたんですけれど、今は重機が入ってですね。だいぶ工事が進んでいます。」

寸断されていた集落へ続く県道も、今では復旧作業が進んでいた。しかし、途中にある土砂崩れは手付かずのままで、これ以上先に進めない。山側から別ルートで目指すも…

村瀬キャスター:
「崖崩れが起きていて、今ちょうど復旧作業しているところです。こっちからも行けないですね」

集落に入るには、歩いて山を越えなければならない。ロープがないと、登れないほどの急斜面が続く険しい山道だ。

1時間ほど進むと、目的の集落に着いた。

村瀬キャスター:
「以前私たちが訪ねてきた時は住民がちらほら作業している様子があったんですけど、今日来てみるともう誰もいない。風の音以外、物音一つしないんですね。車の音はもちろんですね、生活の音が全くしないので、本当に人が残っているのかどうか」

この地区では、800人以上が孤立していたが、すでに二次避難も行われた。
しかし、「故郷に残る」という選択をした住民がわずかに残っていた。

村瀬キャスター:
「ごめんください、突然すみません」

小脇春美さん(72)。そして、夫の政信さん(72)だ。

――1番困っているのはどんなことですか?

小脇政信さん
「車で出れんのが一番あれやね。出れればまだ何とか…」

倉庫には、米やじゃがいも、玉ねぎなど食料の備蓄が十分にあるという。水は、山から自宅まで、数百メートルほどパイプを引いて、確保していた。暖房はストーブ。自衛隊から届けられた灯油を節約しながら、なんとか生活しているという。

小脇政信さん:
「区長さんも"ここで死ぬか、向こう(避難所)に行って死ぬか"と、それぐらいオーバーに言っていた。行かんかって言ったけど、"俺ここで残って死ぬわ"って。そういう状態で困った困ったってあんまり言えない立場」

避難してもいずれ帰るのなら、このまま残って、水道管の補修など少しでも復旧を進めたいというが、生まれ育った故郷は、もう元には戻らないと感じていた。

――集落ももう前と同じような形に戻れない?

小脇政信さん
「あーもう戻れない。駄目。駄目」
小脇春美さん
「(みんなが)こっちに帰ってきてね、また元の生活ができればいいけどね。それがまだ難しい。」