ADHDといえば、男性が多く、じっとしているのが苦手などの多動のイメージがあるかもしれません。しかし、子どものころには特性が目立たず、大人になってADHDだと診断される女性たちが多くいるといいます。そこにはどんな困難があるのでしょうか。

なぜ気付かれない?『不注意優勢型』は「子どものころは目立たない」

神奈川県に住む雨野千晴さん(42)は30代半ばでADHDと診断されました。子どものころは、親も、自分もADHDであることに気づかなかったといいます。

ーーどうしてADHDに気づかなかったのでしょうか?

「私はADHDの『不注意優勢型』で、子どものころはあまり目立たないんです。私は、授業中はきちんと座っていられました。実は、違うこと考えていたり、落書きとかしているんですけど。親がフォローしてくれていたから、忘れ物もあまり目立ちませんでした」

ADHDというと、ソワソワしている じっとしていられないといったイメージをもつ人が多いかもしれませんが、実は忘れ物が多い、片付けが苦手などの「不注意優勢型」も存在し、女性に多いといわれています。

その特性は、他にも様々な要因が考えられるため、自分も、家族も、医師も、子どものころに発達障害だと気づくのは難しいといいます。しかし、大人になり、自立していくにつれ特性が表面化してくるのだと雨野さんはいいます。

「なんか死にたい」事務作業が壊滅的にだめ 失敗は自己否定に 

進学校に通っていた雨野さんは、大学に進み、教員免許を取得します。そして、卒業して数年後には小学校の先生として働き始めました。そこで大きな壁にぶち当たりました。

「授業ではそんなに困ることはなかったんですが、事務作業などの仕事が壊滅的にだめでした。でも自分では認めたくなくて、隠したり、ごまかしたりしていました。素直に謝れなかったり、誰かに手伝ってほしいとは言えませんでした」

子どものころにADHDと診断されなかったことの影響かは定かでないとしながらも、雨野さんは自分の育ちの影響で自己肯定感が低かったと振り返ります。そして、仕事の失敗は自分の否定へとつながったといいます。

「職員室の先生には良い格好したかった。「ダメ」って言われたら人生終わりだと思っていました。でも、先生たちには『この人は言ってもだめだから』と、私がミスしたり、変な動きをしたときには直で管理職に報告をされたりするようになりました。

それで、人生ではじめてなんですけど、動悸がして、話そうとするとのどが詰まるみたいな感じになって。学校からの帰り道で毎日「なんか死にたい」みたいに思って泣いていました…」

雨野さんは追い詰められてやっと、ADHDの診断に至りました。大人になって向き合うことになった自分の特性でしたが、あることをきっかけに受け入れることができたといいます。