暖かかった雪国の記憶

思い返すと、大学で富山に進学するなど、記者は北陸に縁が深い。
当時、初めて日本海側で迎えた冬は厳しく、生まれ育った三重と比べて、人々は寡黙に感じた。名古屋や大阪に進学した友人たちが、華やかな流行に触れている話を聞いて、ため息をつく事もあった。
けれども、北陸でできた友人に囲まれて迎えた2年目の冬は、暖かいものだった。
その中に居た石川県能登町(当時は合併前で「能都町」と呼ばれていた)出身の友人は、地元の夏祭りに誘ってくれたりもした。泊めてもらった友人の実家の窓からは、夏の空がよく見えた。セミの鳴き声と波の音、そして時々、のと鉄道・能登線の踏み切りの音が聞こえていたのを覚えている。