発生から29年がたった阪神・淡路大震災。全壊した家屋は約10万5000棟、半壊は約14万4000棟(内閣府より)にのぼりました。今年1月1日に発生した能登半島地震でも多くの建物が倒壊。これらの地震で多くみられたのが、揺れの影響で柱がずれたり外れたりしてその階だけが崩壊してしまう『層崩壊』です。多くの犠牲者を出したこの現象について取材しました。
自宅の1階部分が潰れ…寝ていた次男が下敷きに
1995年1月17日、淡路島北部を震源とする最大震度7の阪神・淡路大震災が起こりました。この地震で多くみられたのが特定の階が押しつぶされてしまったビルや民家。犠牲者6434人の7割以上が建物の倒壊を原因とする圧死などで亡くなりました。
神戸市須磨区に住む崔敏夫(チェ・ミンブ)さん(82)。震災発生当時、敏夫さんと妻と三男は自宅の2階で、成人式のために帰省していた次男は1階で寝ていました。
(崔敏夫さん)「ドーンという下からの突き上げ、大きな衝撃があったわけやね。踊り場で足を階段に持って行ったが階段がない。何で階段がないんかな…と不思議でしかたなかった」
地震によって自宅の1階部分が潰れ、次男の英光(スグァン)さん(当時20)は下敷きになり亡くなりました。
(崔敏夫さん)「1階に降りないといけないということでベランダに出たら、家が全部潰れていて、がれきの山だった。がれきを一つ一つ除いて、隙間をジャッキで上げてという状況が続いた。息子の顔を見たとたんに、左半分はきれいだったんだけれども右半分がうっ血していて、あの顔を見たら涙が出てこらえることができなかった。今でもその顔は鮮明に覚えている。いまだに忘れることはできない」