忠魂碑と彫られた文字を埋めて消したか・・・
富山県でも翌年1946(昭和21)年、GHQが視察に訪れることになり、朝日町の山崎小学校の敷地内にあった戦闘機「零戦」の大型模型が壊されました。入善町の飯野小学校に置かれていた「忠魂碑」も、地元の人々によって約1キロ離れた善称寺に移されたというのです。
その後、地元の遺族会が「忠魂碑」が放置されるのではないかと心配し、遺族会主導の働きかけで、善称寺の境内で再建されることになったのです。
戦後日本の再出発を象徴すべく、忠魂碑の文字をコンクリートで埋めて消したうえ、反対の面に「平和塔」の文字を彫り直し、平和のシンボルとして建立したとみられています。

