東日本大震災時にはATM代わりに現金を持って避難所を回る

―――いままでを振り返ってみて、最大のピンチは?
 2011年の東日本大震災の時に、子どもさん向けのアーケードゲームと遊び場の会社『イオンファンタジー』の社長をしていたんですが、お店も機械も流されて。あの時は電気がすごく貴重で、「電気をそんなところに使うなんてとんでもない」という声が多かったんですね。300店舗あるうち100店舗が閉まっていました。でも、従業員も給料がもらえないと困るじゃないですか。いつ再開するかも分かりませんし。どうしようか、とみんなで話し合って、1年かけて1店舗ずつ再開していきました。本当につらかったですけど、勉強にもなりましたね。

―――大変、ご苦労されたんですね。
 被災地では「ATMが使えない」という話が出て。だったらみんなで現金を持って行ったらどうか、となったときがありました。現金を封筒に入れて、誰が居るかわからないんですけど1か所1か所避難所を訪ね歩きました。でも、のちに「あの時に現金があったから随分助かりました」と言われたことがありました。