■爪痕
イルピンの墓地にあった空きスペースは、急速に埋まりつつあります。ロシア軍侵攻によって亡くなった市民や兵士の墓が、広場一面に広がっていました。

墓地に行った時、一人の兵士の遺体が埋葬されようとしていました。軍関係者が遺体を運び、墓穴へと収めます。カシャ、カシャ、とスコップで土をかける音と、家族の啜り泣く声が、寒空の下に響いていました。
街中には、今でも破壊された車や戦車などを、各所で見かけます。弾薬やロケット弾のかけらなどもよく見かけます。多くの建物が破壊され、爆発の痕跡や、銃撃の痕跡が、生々しく残っていました。また、爆発によって空いた穴、塹壕として掘られた穴などが、各所にありました。

駐車場や空き地には、破壊された車両が多く置かれています。街を復興させるには、まずは道路を移動できる状態にしなくてはなりません。解放直後の街には、大破した車両が多くあったため、まずはそれらを片付け、集める必要があったのです。


車両の中には、爆破によって亡くなったドライバーや動物の体の一部が残っているものもありました。駐車されていた車だけでなく、避難の最中であった車が、避難民ごと爆破されたりもしていたのです。

■復興へ
破壊されたボロディアンカの集合住宅前にある広場では、いわゆる「復興市場」が開かれていました。肉、野菜、洋服、靴、そして花や球根などが売られていました。


また、ある学校の敷地では、いわゆる「仮設住宅」が造られていました。これはポーランド政府の支援を受けたものです。近づいてみると、仮設住宅の建設に関わっている人たちのチーフが、「中を見せてあげるよ」と建物の中を案内してくれました。

仮設住宅のつくりは日本と異なっています。窓は防寒用に二重窓となっています。集合住宅形式となっていて、真ん中に廊下があり、それぞれの部屋に別れる形式となっています。また、中には大きめの部屋がいくつかあり、住民たちが自分達で相談し、用途を決めることができるといいます。

これほどの破壊の後でも、人々は暮らしを再建しようとしていました。ウクライナ国内は、「戦闘中の場所」「戦闘が起きていない場所」だけでなく、ブチャなどのように「かつて戦闘が起きていた場所」があり、そうした街は、再侵攻に警戒しながらも、復興フェーズへと入っています。
日本は「復興支援」に力を注ぐべきだという議論はありますが、既に復興支援を求めている街が多くある。こうした現地ニーズに対する、細やかな対応も必要なのだとわかります。